日刊サンWEB|ニュース・求人・不動産・美容・健康・教育まで、ハワイで役立つ最新情報がいつでも読めます

ハワイに住む人の情報源といえば日刊サン。ハワイで暮らす方に役立つ情報が満載の情報サイト。ニュース、求人・仕事探し、住まい、子どもの教育、毎日の行事・イベント、美容・健康、車、終活のことまで幅広く網羅しています。

デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

【ニュースコラム】Go for broke 永遠のダニエル・イノウエ

7年以上も前になりますか。神奈川県の横須賀基地を母港とする、当時の米海軍第7艦隊所属の原子力空母「ジョージ・ワシントン」に乗鑑して見学したことがありました。

歴代の大統領やエラい軍人さんの名前が艦船に冠せられるのは、米海軍の伝統です。わたしが艦内を案内してくれた基地の広報の方に「将来、(現在の)バラク・オバマ大統領の名前がついた軍艦が就航することはありますかね」と聞くと、彼は即座に、「それはないでしょうね」(It will unlikely happen.)と答えて、肩をすくめたことをよく覚えています。

わたしがいた1990年代の首都ワシントンに隣接したバージニア州の国内線空港「ワシントン・ナショナル空港」は、その後、「ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港」と改称されました。しかし米国の友人によると「タカ派色が強かったレーガンの名を思い出したくない人もいる」とかで、一般の米国人の間では昔通りの「ナショナル空港」の方が通りはいいようです。

最近のニュースでオヤッと思ったのは、昨年の12月にハワイのパールハーバー・ヒッカム統合基地で就航式典が行われた新鋭の米ミサイル駆逐艦に、戦後、長く連邦上院議員を務めて2012年に亡くなった日系のダニエル・イノウエさんの名前がつけられたことです。米軍の艦船に日系人の名前がついたのは、初めてだそうです。

ホノルルの国際空港も2017年からは「ダニエル・K・イノウエ空港」に改称されています。それほど、イノウエさんが、党派を超えてハワイの人たちの尊敬を集め、誇りに思われてきたということなのでしょう。

ダニエル・イノウエ議員を連邦上院議会の部屋に訪ねてインタビューしたのは、1995年2月でした。ハワイの民主党が米国による広島・長崎への原爆投下に対し、米政府は「遺憾」の意を表すべきだ、との決議を採択したのに対し、イノウエ議員は「決議は無視してほしい」という書簡を当時のクリントン大統領に送ったのでした。

原爆投下から50年の夏が近づいていました。ワシントンの米国立スミソニアン航空宇宙博物館での、爆撃機B29「エノラ・ゲイ」の展示をめぐる問題が激しい議論を巻き起こしていました。

「もし大統領に原爆投下を謝罪しろというのなら、わたしたちはパールハーバーの謝罪を日本に求めるのですか。天皇に頭をさげろというのですか。それは日本人に平手打ちを食わせるようなものでしょう」

イノウエ議員の受け答えは終始、冷静でした。しかし、いま、黄ばんだスクラップブックを読み返しても、日米双方の痛みを知り尽くすイノウエ議員の、あのときの心中に秘めた熱っぽい思いがありありと思い出されます。

日本からハワイへの移民は1868年(明治元年)に始まり、最初の渡航者は「元年者」と呼ばれました。イノウエさんの祖父母が福岡県の寒村からカウアイ島に入植したのは1899年のことです。人種差別に苦しみながら、血のにじむような苦労の果てに、日系人たちはようやくハワイの人びとの信頼をかちえ、日米開戦のころにはハワイには16万人の日系人が移住していました。

そこへ、パールハーバーの奇襲攻撃が起きる。来襲する日本海軍の軍用機を見上げながらイノウエさんは「愚か者どもが」と叫んだのでした。

日系2世の男たちが、米国人としての祖国への証(あかし)だてを示すには、軍隊に入って戦うしか道はありませんでした。1943年2月、日系2世だけによる「陸軍第442歩兵連隊」が結成されると、イノウエさんは迷うことなく志願。「Go for broke(当たって砕けろ)」が部隊の合言葉でした。そして北部イタリア戦線でドイツ軍との激戦中に、右腕を撃ち抜かれるのです。

イノウエさんは「呪うべきは戦争です。戦争に紳士的な戦争などひとつもない。ただ、誰が正しく、誰が間違っていたかという議論を続けたとしても際限はないのです」と晩年も語り続けました。過去の歴史認識や戦争責任をめぐって日米の感情がもつれ、対立が再燃することだけは、断じて避けねばならない。その彼の信念は一貫していたと思います。

パールハーバーから80年の時が過ぎ、新しい年2022年が明けます。太平洋よ波静かであれ、と祈らざるを得ません。

(日刊サン 2022.1.1)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
Twitter
Visit Us
Instagram