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木村伊量の ニュースコラム

【ニュースコラム】老リベラリストの死

日本を代表する知米派のリベラリストとして知られた、朝日新聞元論説主幹の松山幸雄さんが10月末に亡くなりました。91歳でした。

わたしにとっては23歳も歳が離れた、政治記者、ワシントン特派員の大先輩。仰ぎ見る雲の上の存在でしたが、生前、幸運にもおつきあいをいただく機会が少なからずありました。

この夏にいただいた最後のメールには「今日は日曜日でのんびり、などと言うと、現役のサラリーマンみたいですが――実は、車いす生活の身障者は、月曜から土曜まで、訪問医師(内科、整形外科)、訪問理学療法士、訪問マッサージ師、訪問ヘルパーさん、訪問歯科医師らへの対応、それに、今度こそ絶筆になるはずの『死の床で読み返す百数十通の私信』に備えた資料整理などで毎日が忙しく……」。人生の最終幕まで、持ち前のファイティングスピリットと、ユーモアを忘れない人でした。

1961年にプロペラ機で羽田を飛び立ち、ウェーク島、ホノルル、サンフランシスコ、ニューヨークを経由して首都ワシントンに到着。特派員生活を始めます。敬虔(けいけん)なクエーカー教徒の家に下宿して「よきアメリカ」の一端に触れる体験もしたようですが、翌年には世界を破滅の淵に立たせたキューバ危機が勃発。さらに次の年の1963年にはケネディ大統領が暗殺される衝撃的な事件が起き、松山さんはただちに現地ダラスに飛んで原稿を送った唯一の日本人記者になったのでした。

以来、ワシントン、ニューヨーク、そして論説主幹を辞めた後はハーバード大学の特別客員研究員に迎えられるなど、長い滞米経験を通して、豊富な人脈を築いていくことになります。

堂々とした体格の偉丈夫で、ゴルフも麻雀も大好き。ガツガツと特ダネを追うタイプではなく、いかにもオールド・リベラリストのおおらかさ、馥郁(ふくいく)とした教養を感じさせる方でもありました。なかでも、全米各地に招かれての講演やスピーチは、ため息が出るほどの絶品。

もう25年以上も前になりますが、ホノルルのホテルで聞いたスピーチは忘れられません。「The worst day in Honolulu is better than the best day in Tokyo.(ホノルルの最悪の日は、東京の最良の日よりずっといい)」。こんな切り出しで話を始めるものだから、聴衆はドッとわきますよね。わたしはスピーチの印象的なフレーズをちゃっかりとメモしながら、これをお手本に、後日、いろいろな場面で活用させていただきました。

「鉛筆人間をめざせ」というのも松山語録のひとつ。そのココロは?鉛筆には芯がある。人はだれしも背骨になる信条、哲学、信仰を持たなくてはならない。でも、芯だけではポキンと折れる。鉛筆のようにまわりに木(気)を使ってこそ、芯が生きてくる――といった意味でしょうか。これなど、わたしは大学の授業で学生諸君になんど伝授してきたことやら。

「無断借用」の数々はご本人におわびしましたが、松山さんはいつでも鷹揚(おうよう)に「いいよ、いいよ、好きなように使ってくれたまえ」。

狭量な右翼にも、マルクス主義を信奉するコチコチの左翼にも厳しい目を向けました。タカ派でもハト派でもなく、是々非々と非々非々の間の「中左衛門(ちゅうざえもん)」をめざせ、などと語るものですから、左右両勢力からたたかれました。

ただ、トランプ前大統領を生み出すようなご時世。「リベラル賛歌」を歌いあげるだけでは、世の大方の支持は得られますまい。慧眼(けいがん)の松山さんは、とっくにそのことに気づいていたはずですが、それでも、彼はリベラルという価値こそが、自由の国・米国を創り上げているのだと、その信念は微塵(みじん)も揺るぎませんでした。

『自由と規律』という著書で、松山さんは米大リーグで活躍している日本の野球選手に触れて、米人記者たちに断然好かれているのは、ニューヨーク・メッツの吉井理人(まさと)投手だと書いています。なぜなら「He talks and jokes.(よくしゃべるし、冗談を言う)」(ニューヨーク・タイムズ紙)からだ、と。

吉井さんに続いて、松山さんが注目していたのは、あの新庄剛志(つよし)選手。型破りで、明るい人柄は、米国でも強烈な印象を残し、記者たちにも親しまれました。来シーズン、天上の世界から松山さんは、新庄監督率いる北海道日本ハムファイターズに声援を送っているのかな。ハラハラしながら。

(日刊サン 2021.12.3)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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