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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

虎穴に入らずんば…… 記者と取材先の「距離感」

 コロナ禍で外出自粛や「濃厚接触」を避ける呼びかけが続いていた先月の日本で、とんでもないスキャンダルが持ち上がりました。
 検察ナンバー2の東京高検検事長が、新聞社の担当記者らと賭け麻雀をしていたことが発覚。検事長は辞職しました。タイミングの悪さとともに、新聞記者と取材先のズブズブの関係についても、世間の批判を浴びました。
 わたしも今回の件については、弁解の余地はないと思います。ただし、取材先に食い込んで深い情報を取るのが記者の使命。一般論で「取材先とは距離を保て」というのはその通りですが、実際には、飲食をともにし、彼らの懐に飛び込んで信頼を勝ち取り、なんとか単独取材の機会を見つけることに心血を注ぐ。その「記者魂」まで否定されると、ジャーナリズムは権力監視どころか、ものごとの真実に肉薄することも難しいだろう、という思いもあります。
 長い間、永田町で政治記者を続けてきましたが、思い出深いのは、一時期、「政界のドン」の名を欲しいままにした金丸信・自民党幹事長を担当した頃のことです。週末も休日もなく、早朝から深夜まで、彼の一挙手一投足を追いかけました。親しくなると、いろいろな場面にも出くわします。
 1991年秋の自民党総裁選が近づいたころのある朝、元麻布の金丸邸で金丸氏と2人きりで話していたら、「小沢(一郎氏)はミッちゃん(渡辺美智雄氏)を推せ、と言ってきかない」とポツリ。そこへ、たまたまやってきた悦子夫人が、なんと、金丸氏の頭を後ろからポカリ。「痛えじゃないか、この〇〇女!」「何がミッチーよ、世の中の期待は宮沢(喜一)さんじゃないの」。夫婦の壮絶なやりとりを、わたしは息をのんで見つめるばかりでした。
 金丸邸ではハトコという名の九官鳥を飼っていました。「カネマルシン ヨロシク」と本人の声色(こわいろ)でモノまねをするのがご愛敬。一計を案じたわたしは、誰もいないところを見計らって「新聞はアサヒ アサヒはキムラ」と繰り返し吹き込みました。すると、いつの間にか後ろに立っていた悦子夫人にいきなり、頭をポカリ。「何しているのよ、あなた」と一喝されました。
 こんな調子で日本では政治記者を続けてきましたが、ワシントンに赴任して米国政治を担当すると、まるで勝手が違います。
 マサチューセッツ州選出の民主党の重鎮エドワード・ケネディ上院議員は、知らない異国の記者にも親切で、早朝、議会で待ち伏せして、アポイントなしでコメントを求める取材にも応じてくれました。「日本では記者はこんな取材をしているのかい」と驚かれましたが。でも、これは例外中の例外。
 1994年の中間選挙での共和党の地滑り勝利で、一躍、ときの人となったのがギングリッジ下院議長。彼と親しい関係を結ぼうと、ある朝、ジョギングにでかける議長にあいさつしようとしたところ、大柄のSP(警護官)が立ちはだかり、IDカードをふんだくられました。「いいか。今度、こんな真似をしたらただじゃすまないからな」。口の中がカラカラになりました。
 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」ということわざも、ときと場所を心得て、ということなのでしょうね。
 そういえば、ワシントン赴任に先立ってニューヨークのコロンビア大学の研究所に在籍した折、よくシンポジウムなどに駆り出されました。ある日のお題は「なぜ、日本の記者はバーバラ・ウォーターズになれないか」。彼女は世界のVIPにも歯に衣着せぬインタビューで知られたテレビジャーナリストでした。ある昼食会に招かれたら、出席者から「日本の新聞記者は座敷犬なのか、それとも権力監視の犬なのか?(lapdog or watchdog?)」と攻め立てられました。「そんなに追い詰めないでよ(Don’t push me to the corner.)」と哀願し、拙い英語での応答はしどろもどろ、汗まみれになりました。
 でも、米国のプレスにもあからさまなランク付けがあり、同じホワイトハウスの担当記者でも、報道各社の格や記者の食い込み次第によって、通り一遍のブリーフィングを受けるか、政権の最重要政策に触れる「ディープ・ディープ・バックグラウンド・ブリーフィング」に呼ばれるかが分かれるのは、暗黙の了解事項なのです。日本の記者事情だけが「特殊」というのはちょっと違いますね。
 いまでもたまに、ハトコを思い出します。金丸夫人に邪魔されなかったら「アサヒはキムラ」と憶えてくれたかな。懐かしい、いとしの、ハトコよ。

 


木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。


 

(日刊サン 2020.6.19)

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