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ニュースコラム 高尾義彦のニュースコラム

【高尾義彦のニュースコラム】生誕100年を迎える渋谷駅・忠犬ハチ公のこと

 待ち合わせ場所として馴染みの深い東京・渋谷駅の忠犬ハチ公像。モデルとなった忠犬ハチ公は、現在の秋田県大館市で1923(大正12)年1110日に生まれ、間もなく生誕100年を迎える。純血種の秋田犬、ハチは東京帝国大学農科大学、上野英三郎教授の飼い犬で、教授が亡くなった後も、渋谷駅で教授の帰りを待っていたとして「忠犬」の称号が与えられ、銅像まで作られた。像の前を通るたびに、この伝説がどこまで真実なのか、気になっていたが、この機会に「愛犬物語」の歴史をたどってみた。

 上野教授はハチを飼い始めて1年余り経った1925(大正14)年521日に農学部教授会後に脳溢血で急逝した。ハチはその後も約10年にわたって渋谷駅の改札口近くで教授を待ち続けた、というのが残された逸話だ。

 最初の銅像はハチが生存中の1934年に造られ、第二次世界大戦終戦直前に弾丸に転用するため溶融された。戦後、再建されて、置かれている場所は何度か変わったが、渋谷駅の名物として人々に親しまれてきた。本郷の東京大学農学部には、上野教授とハチの像が2015年に設置され、忠犬ハチ公の存在はゆるぎない歴史的事実となっている。

 忠犬ハチ公物語誕生の通説となっているのは、1932(昭和7)年10月の東京朝日新聞朝刊に「いとしや老犬物語」という記事が掲載され、これがその4年前にハチの存在を知った斎藤弘吉・日本犬保存会初代会長が投書した情報による、という話だ。記事を読んだ斎藤会長は「自分の投書がきっかけ」と周辺に説明しているが、4年間のずれがあり、投書との関係はないとみるのが自然のようだ。

 それでは、忠犬ハチ公誕生の契機となった記事はどのようにして生まれたか。

 『犬の伊勢参り』『犬たちの明治維新』など犬をテーマにした著述が多い元毎日新聞記者、仁科邦男さんが、筆者が編集を担当した季刊同人誌「人生八聲」(昨春30巻で休刊)に興味深い事実を紹介しているので、骨子を引用する。

 キイパーソンは、昭和初期に東京日日新聞記者を務め、のちにNHK朝の連続ドラマ「おはなはん」の原作者として知られた随筆家、林謙一さん(1980年死去)。著書『2Bの鉛筆』によれば、鉄道省記者クラブ在籍当時、「省線(現JR)渋谷駅の駅長が、改札口に大きな犬がいて困っている」という話を聞き、記者クラブの共同取材の形でハチの話をまとめて原稿にして、各社の記者がそれぞれ出稿した。

 記事は、東京日日をはじめ各新聞社の夕刊に掲載されたが、東京朝日は朝刊の家庭欄に回され、「いとしや老犬物語」となった。記事を書いた記者は、NHKの「話の泉」「私の秘密」で有名になった渡辺紳一郎さんで、本人はデスクに大幅に書き直されたため、「あの原稿は私が書いた」と人前で語ったことがないという。

 『2Bの鉛筆』で記者の名前は仮名になっているが、仁科さんは健在だった頃の林さんから実名や当時の経過を確認している。日本犬保存会の斎藤会長投書説より、信憑性は高い。

 当時、ハチは渋谷駅周辺にあった屋台で焼鳥をもらうため駅に来ていた、などと美談を否定する証言もあったが、1935(昭和10)年の死去まで忠犬として大事にされたようだ。

 偶然だが、季刊同人誌「人生八聲」由来の書籍が今月になって出版され、なんとそのタイトルが『忠犬ハチ公vs吉永小百合わが代々木上原物語』(上下2巻・アマゾンより)となっていることに驚いた。著者はやはり毎日新聞のエコノミスト編集長を務めた高谷尚志さん。出身の渋谷区立上原小・中学校の校区を中心に、この地域に住んでいたり縁があった有名人の知られざるエピソードをまとめた労作で、季刊同人誌掲載分に加え、小中学校同級生や先輩、後輩のつながりを軸に、古賀政男、宇崎竜童、ペギー葉山、ジャニー喜多川、安倍晋三などが、これでもか、とばかりに登場する。

 そこになぜ、忠犬ハチ公が登場するのか。

 上野教授が亡くなった後、上野家ではハチを飼うことが出来ず、浅草の知人宅に預けられた後、代々木上原に近い渋谷区富ヶ谷の植木職人に引き取られ、約8年間の余生をここで過ごした。植木職人は、生前の教授から仕事先を紹介されたりして恩義を感じていたという。

 ハチはここから渋谷駅に通い、渋谷駅の小荷物室に居場所を与えられたこともあった。終焉の地は、駅に近い稲荷橋付近、滝沢酒店の北路地と特定されている。戦後再建された忠犬ハチ公像の台座には「忠犬ハチ公」とだけ題字が記されているが、この文字は公募の結果、上原小学校3年生だった女子児童の作品、と高谷さん。

 二つの著作から「忠犬ハチ公」の実像に少し迫れたかな、と感じる。「ハチ公生誕100年事業実行委員会」が1年前に発足し、渋谷と大館で記念事業が展開されてきた。動物愛護や純血種を守ろうとする運動も背景にあり、戦前を連想させる「忠犬」には異論もあったようだが、ハチは幸せな生涯を送ったと受け取めるべきなのだろう。

(日刊サン 2023.9.13)

高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ』を自費出版。


 

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