「死んだら、わたしはハワイの海で散骨してもらいます」。わたしよりうんと若い現役の女性新聞記者からもらったメールにそうありました。で、60代後半のジジイも考えてしまいます。おい、お前、どうする?
コロナでの不自由がなかった頃、飲み屋での何かの集まりで「生まれ変わったら何になりたい?」というたわいもない話題で盛りあがりました。アルコールに力を借りて、みんな、その場限りの勝手な思いつき。わたしは「そうねえ、新聞記者といっても、けっこう息苦しい競争社会で生きて来たからさ、来世は自由気ままにプカプカと海の中を漂うクラゲがいいかな」といったら、女性の参加者から「あら、若い娘さんの肌にまとわりついて刺すんでしょ。いやらしい!」だって。おちおち、冗談も言えませんねえ。
クラゲはともかく、友人によると、日本周辺の海での散骨どころか、日本の大手旅行会社が主催しての「ハワイ散骨ツアー」はけっこうな人気。いまはコロナで中断しているツアーも多いようですが、例えば、「天国の海」と呼ばれるオアフ島東海岸カネオヘ湾での散骨。カラマン船かグラスボートで沖に出て、献花、トランペットによる讃美歌演奏、聖書朗読、写真撮影なども込み込み、参加10名様でしめて20万円ほどとか。そうだなあ、その機会に参列者のハワイ観光旅行もできるし、うーん、悪くないか。
「おみおくり」のかたちが、大きく変わっていることを実感させられたのがこの春です。わたしの親しい友人が他界し、生まれ故郷の東北地方の寺で四十九日の法要に合わせて納骨、となったのですが、気になったのは大きなお骨が入った骨壺(こつつぼ)をどうやって遺族が東京から両ひざに抱えて運ぶのか。奥様にお尋ねすると「ゆうパックの宅急便で送りますから楽ですよ」。えっ。思わず言葉を失いましたが、聞くと、いまやそんなこと珍しくもないとのこと。時代は変わっているのですねえ。
この世での始末のつけ方は、もちろん、人それぞれでしょうが、あっと驚くのは、今後の「成長産業」のひとつとみなされている宇宙葬です。宇宙葬? いぶかしい思いを持たれるのも当然。でも、すでに新たな葬儀ビジネスとして注目されているのです。
ひとことで言えば、故人の遺灰や遺骨の一部を収めた円筒形のカプセルをロケットに搭載して、宇宙空間や成層圏で散骨しようというプロジェクト。すでに米国のベンチャー企業と日本の企業が提携し、2016年には最初の宇宙葬が実現しました。ロケットはおもに、商業用宇宙基地がある米国ニューメキシコ州の「スペースポート・アメリカ」から打ち上げられるということです。
いくつかの「コース」をご紹介すると――。
◦バルーン散骨 遺灰や遺骨を巨大なバルーンに入れて成層圏まで飛ばしたところで散骨。もっともお手軽。
◦流れ星供養 ロケットで宇宙空間まで打ち上げ、地球を数日から数年かけて周回した後、大気圏に再突入。遺族はモバイルアプリでロケットの現在位置を追える。遺灰は流れ星となって燃え尽きてしまうので「宇宙ゴミ」問題は発生しない。
◦月面供養 カプセルを月まで運び、月面に放置または落下。遺族は夜空の月を眺めながら永代供養できる。
◦宇宙散骨 遺骨、遺灰をロケットで宇宙の彼方に運ぶ。永遠のさすらい。
気になる費用は20万円前後から250万円前後。これを高いと見るか、安いと見るか。
でも、「アフター・ライフ」のことなんか、たぶん、ご本人様にはわかりませんよね。あまりこだわるのもいかがなものか、という声もあるでしょう。孔子は「鬼神を敬してこれを遠ざく」と死後の世界を語りませんでした。ブッダもあくまで現世を生きる人びとの苦しみからの解脱(げだつ)を説き、いのちを閉じた後のことにはいっさい沈黙しましたから、「無記」と呼ばれます。
わたしが好きなのは浄土真宗の開祖親鸞(しんらん)の「閉眼せば賀茂河(かもがわ)にいれて魚に与ふべし」という言葉です。人間本来無一物。葬式無用、戒名無用、墓無用、というわたしの考えにもフィットします。
とは言いつつ、この世では無理だけれど、あの世での宇宙旅行というのも、うーん、捨てがたい。地球から300万光年離れたウルトラマンの故郷M78星雲とやらにも行ってみたいしなあ。
(日刊サン 2021.06.04)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。