日刊サンWEB|ニュース・求人・不動産・美容・健康・教育まで、ハワイで役立つ最新情報がいつでも読めます

ハワイに住む人の情報源といえば日刊サン。ハワイで暮らす方に役立つ情報が満載の情報サイト。ニュース、求人・仕事探し、住まい、子どもの教育、毎日の行事・イベント、美容・健康、車、終活のことまで幅広く網羅しています。

デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

【ニュースコラム】「ひまわり」とバビ・ヤール

 ヴィットリオ・デ・シーカ監督の手になる1970年のイタリア映画「ひまわり」。名優ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演のこの映画は、戦争が引き裂く夫婦の悲劇を描き出しました。ヘンリー・マンシーニの甘く切ないメロディのテーマ曲をバックに、見渡す限りのひまわり畑の中を、妻が戦争から帰らない夫を探して歩きます。

 このショットは、東西冷戦のさなか、現在のウクライナの首都キエフから南へ500キロほど行ったヘルソン州で撮影されました。美しいひまわり畑の場面では「イタリア兵とロシア兵が埋まっています。ドイツ軍の命令で穴まで掘らされて。そして無数のロシアの農民も老人、女、子どもも……」という案内人の言葉が流れます。この地にも、いまや戦火は迫っているのでしょうか。

 ひまわりはウクライナの国花です。SNS上ではひまわりの画像の投稿が相次ぎ、映画「ひまわり」は日本全国で緊急上映、自主上映が続いて、劇場への来場者は記録的な数にのぼっています。ひまわりの生産が盛んな香川県三豊市では、JA香川の協力で農家がひまわりをブーケにして東京都内で販売し、その収益をウクライナ大使館に寄付しました。

 深刻なウクライナ情勢から目が離せない毎日が続きます。子どもら罪のない民間人の犠牲が増え続ける痛ましい現状に、強い憤りを覚えざるを得ません。わたしが驚いたのは、キエフの北、バビ・ヤール渓谷にあるテレビ塔が、ロシア軍の砲撃を受けて炎上したことでした。

 バビ・ヤール渓谷は第二次世界大戦中の1941年に、ナチス・ドイツによって、たった2日間で3万7000人のユダヤ人が虐殺された地です。その後もナチスはバビ・ヤールを処刑地として利用し、ユダヤ人やロマ人、レジスタンスの運動家らを虐殺し、ヨーロッパ最大の「ホロコーストの集団墓地」と呼ばれます。テレビ塔は「バビ・ヤール」の追悼記念碑と、ユダヤ人のゼレンスキー現大統領になってから建設が決まった追悼施設「バビ・ヤール・ホロコースト・メモリアル・センター」(BYHMC)の敷地と隣接しているのです。

 1960年代、旧ソ連の作曲家ドミトリ・ショスタコービッチは第1楽章「バビ・ヤール」で知られる交響曲13番を発表しました。しかし、旧ソ連は「ユダヤ人の苦難」に光が当たることを嫌いました。なにより、独ソ戦の最大の犠牲者は2700万人が命を落としたソ連国民なのだ、と強調したかったのです。1976年に建てられた記念碑にはユダヤ人の記述はありません。

 独ソ戦前のウクライナには、250万人のユダヤ人が住んでいたといわれます。反ユダヤ主義の伝統は帝政ロシア時代からソ連に継承されました。バビ・ヤールへのロシア軍の砲撃は、国家と民族間にいまなお澱(おり)のようにくすぶる屈折した感情を浮かび上がらせたように感じました。

 わたしたちの理解がなかなか及ばないものに、宗教的背景があります。

 ロシアのプーチン大統領は2月、国民向けのテレビ演説で「キエフの政権(ウクライナ)がモスクワ総主教区の正教会を虐げる準備を続けている」と語りました。いったい、どういうことでしょうか。

 東方教会の最大勢力であるロシア正教会には、2億6000万人の信者がいるといわれますが、その4分の1はウクライナ国内の信者。ところがウクライナでは、キエフ総主教区が、ロシアの息がかかったモスクワ総主教区の管轄からの「独立」を東方教会の最高権威であるイスタンブールの総本山に願い出て、2019年にこれが認められたのです。これで、モスクワ、キエフ両総主教区の対立はがぜん激しくなりました。

 プーチン氏の長年の盟友と言われるロシア正教トップで、東方教会ではローマ教皇と同等の権威を持つと位置づけられているモスクワ総主教のキリル1世は最近、ウクライナで続く戦争が「神の加護を受けられるか否かという人類の行方」を決めることになる、と語りました。プーチン氏の敵対勢力を「邪悪な勢力(evil forces)」と罵(ののし)ってもいます。

 一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は2月、ローマ教皇フランシスコと電話会談。「教皇がウクライナの平和と停戦のために祈ってくれたことに感謝した。ウクライナ国民は教皇の精神的支えを感じている」とツイートしました。

 宗教界の立場の違いが、ウクライナ情勢をいっそう混迷させています。

(日刊サン 2022.3.25)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
Twitter
Visit Us
Instagram