(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活も束の間、会社が経営破たん。その後の人生を切り開くため渡米しMBAを取得。メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。子会社での副社長経験を挟み、経営企画業務全体を取り仕切る中、遂に悲願の株式上場承認が降りたのだが、様々なリスクを鑑み上場を中止する決断をした。
“当機はまもなく新千歳空港への着陸準備を開始します”と機内アナウンスが流れた。窓の外に目をやると、広大な緑の大地が眼下に広がっている。どこか懐かしさを彷彿させる光景で、それは即ちアメリカ大陸を上空から見た時と同じような感覚であった。前回寄稿したが、IPO断念と共に、我が社はM&Aを通じた積極的な成長機会の獲得に乗り出していた。そしてそのM&A戦略を私が責任者として推進しており、この時までに既に複数の案件を見てきていた。
北海道にある技術系に強いコールセンターの買収案件が持ち込まれたのは、数か月前のことだった。もともとこの会社は我々の競合会社で、東芝のプラズマTVのサポートサービスなどで我々と直接バッティングしていたので名前は知っていた。そして経営企画という職種上、この会社の凡その収益性のあたりをつけていた。その上で、触手を伸ばしたいと思うような会社では決してなかった。
2012年梅雨のある日。東芝を担当している営業マンが、どうしても私に合わせたい人がいると有無を言わさぬ勢いで詰め寄ってきた。彼から言われた麻布の小料理屋の暖簾をくぐると、通された席には初めて見る顔の青年が既に着席していた。私の存在に気が付いた彼は、立って胸元から名刺入れを取り出して挨拶をした。
多くの読者も経験されているかと思うが、第一印象で人の評価があらかた決まる時がある。この出会いもその一つであり、私はこの青年に好印象を持った。そのことを会食の帰り道に口にしたところ、営業マンから「小久保さんが北海道の話に反対しているって聞いたので、態度変えてもらうにはこれしかないって思いました」と心中を露呈された。
かくして、我が社はこの北海道にあるコールセンター会社をM&Aのターゲットとして位置付けるようになった。M&Aのプロセスでは、対象会社とある程度の取引概要がすり合わせられた後、秘密保持契約書などを取り交わして対象会社の査定に入る。私はいつの頃からかこれらのプロセスを、太田先生という公認会計士と一緒に行うようになっていた。当社の社外役員の一人に伝説の銀行マンがいる。彼は小説「金融腐蝕列島」に出ている“カミソリ佐藤”のモデルと呼ばれている人で、その彼が銀行系列の投資会社の会長を務めていた時、彼の懐刀として活躍したのが太田先生だった。数年前に紹介されてから、全てのM&A案件を太田先生と共に進めてきている。
査定も大詰めに入っていた。太田先生と共に新千歳空港行きの日本航空便に乗り込んだのはそんな時であった。北海道の短い夏が始まろうとしていた。
(次回につづく)
No. 228 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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