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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

【ニュースコラム】天上の星影に 永遠なる母を想う

冴えわたる晩秋から初冬の夜空を眺めながら、ある政治家のことをときに思い浮かべます。元首相の中曽根康弘さん。

元日本経済新聞の政治記者で、担当した中曽根さんの信頼が厚かった岡崎守恭(もりやす)さんが、2年前に101歳で亡くなった中曽根さんの追悼文に、次のような思い出をつづっています。

「大自然の中の『天上の星と内なる道徳律』への畏怖(いふ)と尊敬と言えばカントの『実践理性批判』だが、旧制高校仕込みの中曽根氏は哲学を好み……」「本人が『笑われるかもしれないが』と照れ臭そうに話してくれたのが『母の星』である。特定の星ではなく、その夜の星で一番、大きく輝いているのが『母の星』である。困った時には母の星を探す。するとあの星が守ってくれているんだと思って勇気が湧いてくる」

中曽根さんは東大在学中に、母親のゆくさんをなくしています。わたし自身も、中曽根さんから天上の星に母の面影を追うロマンチックな告白を聞いたことがありました。「へえ、冷徹な現実政治家の彼にも意外な一面があるんだなあ」と強く印象に残りました。

母親によるわが子の虐待、といった痛ましいニュースが報じられる昨今です。母なるものの偉大さ、母親の無償の愛をことさら理想化して言い立てるのはいかがなものか、という思いはあります。(母恋しさのあまりに旅から旅への渡り鳥、番場の忠太郎が観客の涙を絞った1960年代の東映映画『瞼(まぶた)の母』なんていったって、当節、わかる人がどれほどいることやら……)。ただ、遠く幼い日の、母親への思慕を心深くに抱き続ける人は、世代を超えて少なくないことでしょう。

鎌倉の古刹(こさつ)円覚寺の故朝比奈宗源(あさひな・そうげん)老師は4歳の時に母親と死別しました。

いまわのきわに、母親は枕元に彼と彼の姉を呼び、「わたしは死んでからも草葉の陰からお前たちを見守っているからね」と言い残して旅立ちました。まだ幼かった老師は母親の死がのみこめず、近くの野原の草葉を裏返して、虫になったに違いない母親を探し求めたというのです。晩年になってからも、この話を語るたびに、老師の目には涙が浮かんでいました。

わたしは、とくにキリスト教信仰を持つ者ではありませんが、ゴルゴダの丘で人間の罪を一身に負って十字架ではりつけになったイエス・キリストよりも、どちらかといえば、その聖母マリアに深く惹かれます。

バチカンのサン・ピエトロ寺院にあるミケランジェロの「ピエタ像」は先日、このコラムでも触れましたが、ヨーロッパ各地の教会の薄暗い内陣には、気高く芸術性に富むマリア像がたくさんあります。わたしの「イチ押し」は、ウィーンの美術史美術館にあるイタリアルネサンス期の巨匠ラファエロによる『草原の聖母』(1506年製作)という絵画です。

よくある陰鬱(いんうつ)な暗い色調の、まがまがしい宗教画と違って、明るい風景をバックに、柔らかな表情のマリアが幼いわが子イエスを優しく支える、慈愛と平和に満ちた作品です。わずかに、イエスが小さな十字架を手にしているのが、彼の後の運命を暗示しているのでしょうか。この絵を描いたとき、ラファエロは23歳。彼は8歳の時に母をなくしており、母への思慕がマリア像と重なって、観る人の胸に迫ります。この作品を観るためだけに、海外から繰り返し美術史美術館を訪れる人が少なからずいる、と聞きました。

大昔に経験した話をひとつ。

40年ほど前、駆け出しの新聞記者だったわたしは、どうしたいきさつだったのか忘れましたが、愛知県岡崎市の岡崎医療刑務所で開かれた受刑者による「のど自慢大会」の審査員をつとめることになりました。精神に疾患を持つ男性受刑者たちですが、壇上で次々にマイクを握る皆さんの表情は明るく、巧みな振り付けで、会場からやんやの声援と拍手を浴びる人気者もいます。

ところが、ある人が森進一の『おふくろさん』を歌い始めると、会場は静まり返りました。そのうち、あちこちから、すすり泣く声が聞こえてきます。なかには顔を膝の間に埋めて、肩をふるわせて嗚咽(おえつ)している人もいるではありませんか。母親への思いが堰(せき)を切ったのでしょう。審査するどころではなくなった記憶がよみがえります。

(日刊サン 2021.11.19)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

木村伊量さん 新作 著書紹介

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【内容】 ゴーギャンの画の答えを、まだ私たち、見つけていないわよね――。ボストン美術館で偶然に出会った、年齢不詳の万学の王・如月、強烈な進歩肯定派の脳神経外科医・サチコ、南方熊楠を崇拝する精霊の森の隠者・りゅう。再会を果たした3人は、画の答えを見つけるべく、知の饗宴を繰り広げる。個性派ぞろいの論客たちをまとめるのは、元政治記者の散木庵亭主・ハヤブサ。三酔人文明究極問答の行方は如何に。

1 コメント

  1. こんなところにも。気が付きませんでした。感謝、感謝です。

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