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【ニュースコラム】「オシドリはオシドリ夫婦ではない」。現代と一夫一婦制
きょうは、危ないトラップがいっぱい。あらぬ誤解を受けないように、慎重に筆を進めなければなりません。日本ばかりか、世界の多くの国で定着している家族のかたち、「一夫一婦制」についてのお話です。
イスラム社会では男が4人までの妻を娶(めと)ることができますし、アフリカにも一夫多妻制を認める部族があることが知られています。でも、こうした家族の形態を「オットセイのハーレム社会」のように興味本位に見るのは適切ではないでしょう。妻が多ければ当然ながら、彼女らを養う夫の経済力も問われるわけで、はたから見るほど生易しいものではなさそうです。
日本でも江戸時代までは、妻のほかに妾(めかけ)を囲うことは、「お家の子孫繁栄こそが第一」とされてきた上流武士社会や金持ちの商人たちの間では、普通に行われていました。一夫一婦制は明治31年になって民法で確立され、伝統的に側室を置いてきた皇室でも大正天皇以降は側室制度が廃止されました。男女同権思想の浸透に加えて、欧米先進国の風俗を模範として見習う必要もあったのでしょう。
一夫一婦か、一夫多妻か。どちらがどうの、という議論はさておき、度肝を抜かれるのは江戸時代の将軍たち、なかでも第11代の徳川家斉(いえなり)の「艶福家(えんぷくか)」ぶりです。家斉は50年にわたって将軍の地位にあり泰平の世を謳歌(おうか)したのですが、「暴れん坊将軍」吉宗などとは違い、大胆な政治改革に踏み出すわけでもなく、印象はいたって地味。しかし、子孫を残すことには熱心で、側室らとの間になんと53人から59人の子どもをもうけたとか(岡崎守恭『遊王 徳川家斉』)。
しかし、時代がくだると、そうはいきません。
幕末から明治にかけての英傑、勝海舟の未亡人たみは、亡くなる間際の晩年に遺言を残します。「自分の骨は亡き夫の墓に一緒に入れてもらいたくない」ときっぱりと宣言するのです。海舟は女中さんを含めて夫人以外の何人もの女性との間に子をなし、それを自慢するほどでした。「こいつバッカであるまいか、と亭主を腹の底で侮蔑(ぶべつ)して……こんな奴に墓に行ってまで仕えてたまるものか、というのが彼女の遺言の本音であろう」と作家の富士正晴は『ジジババ合戦、最後の逆転』に書いています。
奥方が積年の恨(うら)みを込めて「三下り半」を突きつけたのですね。
古希を迎えるわたしのまわりにも、「あなたと一緒にお墓に入るのはまっぴら。人生100年時代。わたしはこれから自由に生きたいの」と、いきなり熟年離婚を切り出されて、あたふたしている知人がいます。「偕老同穴(かいろうどうけつ)」。夫婦が仲むつまじく年を重ね、死後は同じ墓の穴に葬られることを言いますが、家族観、人生観の多様化もあって、いまではとんと聞かれなくなった言葉でしょうか。
「オシドリは実はオシドリ夫婦じゃない」――そう話すのは鳥類の行動生態を研究する上田恵介立教大学名誉教授。オシドリがつがい(夫婦)でいるのは1年のうちでせいぜい5か月程度。繁殖期を過ぎると、すべてのペアはさらりと関係を解消してリセットし、毎年毎年、新たなパートナーを見つけるというのです。うーん、「濡れ落ち葉」のように、いつまでも老妻にまとわりつくジイサンは、そもそも自然界には存在しないということですか。
生物学者の長谷川眞理子さんによると「性は生物の多様性を維持して種が生き延びるための、自然界の巧妙極まりないメカニズム」。そこには人間界のような倫理道徳が入り込む余地はどこにもないのです。自分たちの遺伝子を将来にわたって、もっとも着実に残してくれそうなパートナー選びのために、「婚活」を繰り返すのです。どこかの有名女優のように、不倫がバレたメス鳥が不義密通をとがめられて、週刊誌の記者やワイドショーのレポーターに追われたりすることはけっしてないのですね。
言っておきますが、だからといって、不倫を勧めているわけではありませんよ。ただ、人間のモラルの基準は時代とともに変わってきたこと、さらに動物のヒトとして、種族の維持と繁栄を最優先に考える本性を直視しないことには、わたしたちが何者であるかは結局、わからない気がします。
ついでに言えば、超長寿社会ニッポンの担い手である、最後に子どもを産んでから50年以上も生きている「元気なおばあちゃん」というのは自然界では超レアケースだそう。人間とは、まことにケッタイな存在なのですね。
(日刊サン 2023.9.29)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。