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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

政敵を闇に葬る おぞましさ

 酷暑の夏というのに、背筋が凍りつくようなニュースでした。

 ロシアの反体制活動家アレクセイ・ナバリヌイ氏が、空港のカフェで紅茶を飲んだ後、モスクワに向かう飛行機の中で意識を失い、ドイツで治療を受けました。ドイツのメルケル首相は毒物試験の結果、「(猛毒の)神経剤ノビチョクが使われた明白な証拠がある」と断言しました。同首相は「毒殺未遂事件」だとして、ロシア政府に説明と透明な捜査を求めました。欧州連合(EU)をはじめ、世界はロシア政府が関係した計画的な犯行だとの疑いを強めています。

 「やれやれ、またか」という感想を持たざるをえません。ロシアのプーチン大統領は、自らの権威に歯向かう政敵やジャーナリストら、過去の毒殺、毒殺未遂事件でも「知らぬ、存ぜぬ」という態度に終始してきました。わたしが思い出すのは2006年、ロンドン市内で起きた事件です。 

 英国に亡命中のロシア連邦保安庁(FSB)の元幹部、アレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質ポロニウム210を飲まされ、毒殺されたのです。英政府はロシア人容疑者2人の引き渡しを求めたのですが、プーチン大統領ははねつけました。英公聴会の報告書は「おそらくプーチン大統領や当時のFSB長官は承認していた」と結論づけています。 

 リトビネンコ氏がポロニウム210を飲まされたとされる、ピカデリー広場に近い寿司レストランには、その直前にわたしも立ち寄っており、ぞっとしたものでした。 

 その2年前には、元ウクライナ大統領のビクトル・ユーシチェンコ氏が親ロシア系の対立候補と大統領選挙を争っている際、食事中にダイオキシンを盛られた事件が起きました。一命はとりとめたものの、同氏の顔には無残なアバタが残りました。 

 ロシア文学者亀山郁夫さんの著作に『大審問官スターリン』があります。おびただしい数の政敵を「粛清」したスターリン時代の恐怖政治をあますところなく描き出していますが、独裁者スターリン自身の別荘での孤独な死をめぐっても、脳いっ血ではなく、側近らによる毒殺だった、との見方が絶えません。ロシア政治には、今に至るまで、おぞましく、どす黒い裏面史がつきまとっていると感じるのは、わたしだけでしょうか。 

 でも、毒殺の本場はロシアとは限りません。北朝鮮の最高指導者の異母兄・金正男(キム・ジョンナム)氏が、クアラルンプール空港で猛毒のVXを顔に塗られて殺害されたのは、記憶に新しいところです。ベジタリアンで、暗殺におびえていたヒトラーには15人ものドイツ人女性の「毒見役」がいたそうですし、徳川時代の将軍には毎食10人分がつくられ、毒見役人による「お毒見」は3回にわたる念の入れよう。将軍さまの口に入る頃には、お膳のご飯や料理はすっかり冷めてしまっていたとか。 

 なにせ、日本史を繙(ひもと)くと、毒殺は珍しくもない。現在、NHKテレビで放映中の『麒麟(きりん)がくる』では、美濃の斎藤道三が娘婿を毒殺し、織田信長が弟に毒杯を仰がせる凄惨(せいさん)な場面が描かれました。もっと時代がさかのぼって、南北朝の動乱の時代、「観応の擾乱(じょうらん)」で弟と対立した足利尊氏が弟を毒殺したという噂がたったことが『太平記』に記されているようです。いずれも、史実がどうだったかは判然としませんが。 

 スターリンに限らず、古代日本の王朝でも、雅な平安王朝絵巻の世でも、政敵を追い落とすためには手段を選ばず。「乙巳(いっし)の変」で蘇我入鹿(そがのいるか)を討った中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、後の天智天皇などは猜疑(さいぎ)心の塊で、政敵抹殺(まっさつ)に明け暮れた一生だった、という見方も少なくありません。毒殺、闇討ち、謀殺……権力ほど、まっとうな感覚を狂わせ、人を魔物にしてしまうものはありません。 

 さて、安倍長期政権が幕を閉じ、菅義偉(すが・よしひで)政権がスタートです。「ポスト安倍」をめぐって自民党各派閥の激しい主導権争いが見られましたが、さすがに「毒を盛って」でも政敵を倒す、といった非道は、幸いなことに、現代の日本ではおよそ考えられません。 

 「(自民党)総裁選に負けても京の三条河原で首をはねられねえんだから、民主主義の世はありがたいよなあ」。先日亡くなった「平成の黄門さま」こと渡部恒三・元衆院副議長が、しみじみと語っていたことを思い出します。

(日刊サン 2020.9.18)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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