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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

はるかなるアフガニスタンを想う

少し難しい言葉ですが、これを既視感(きしかん déjà vu)というのでしょうか。半世紀近い時間を超えて、同じような光景が脳裏によみがえりました。

イスラム教原理主義を奉じるタリバンが、アフガニスタンのほぼ全土を支配下に置くというニュースが世界を震撼(しんかん)させました。タリバン勢力による再支配を恐れ、アフガニスタンからわれ先に脱出しようという人々がカブール空港に押し寄せ、飛び立つ寸前の米軍機に群れをなしてすがりつき、何人かが振り落とされて命を落としました。

1975年4月、東京の大学生だったわたしは、ベトナム戦争の最終幕で、当時の南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落したことを映し出すテレビニュースにくぎ付けになりました。

空港に殺到した南ベトナムの市民が、米国の航空機に乗り込もうとして、むなしく振り払われる光景は、いまも忘れることができません。南ベトナムを飛び立つ最後の米軍ヘリコプターになんとか乗れないものか。サイゴンの米国大使館には、高い壁を乗り越えて市民が押し寄せました。

手元にある写真集『VIETNAM THE REAL WAR』を眺めることが、このところは多くなりました。戦乱の果てに、いのちを奪われ、愛するものをなくし、悲惨な運命をのろうのは、いつだって市井の人々。いっこうに収束の様子が見えないコロナ禍に加えて、不安におののくアフガニスタンの人々の苦境をはるかに思い、気持ちがふさぐ日は多くなります。

米国が主導する有志連合諸国が「自衛権」をたてに、タリバンが支配するアフガニスタンに対する戦争を始めたのは、2001年9月11日の「世界同時多発テロ」という空前の出来事がきっかけでした。テロ組織アルカイダの容疑者らの引き渡しに、タリバン政権が応じなかったことが戦争の理由でした。

同時多発テロは記憶に鮮明です。その日、わたしは中谷元・防衛庁長官による東チモールの自衛隊PKO視察に同行して、ジャカルタのヒルトンホテルに滞在していました。自室で何気なくテレビを見ていると、旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込むじゃありませんか。ウソだろ?信じられない光景……。それからは、てんやわんやの大騒ぎに。

新聞社の論説委員だったわたしは、米英両軍がアフガニスタン国内のタリバンの拠点などへの空爆に踏み切ったとき、社説で「武力攻撃はできることなら避けることが望ましい。しかし、国際社会を標的にするテロ組織を壊滅させるには、訓練基地や軍事施設などに目標を絞った限定的な武力攻撃はやむを得ない、と考える」と書きました。

あれから20年。タリバンは息を吹き返し、米軍は撤退し、国際社会には徒労感が広がります。あの社説の主張は正しかったのか。

アフガニスタンという国の名は知っていても、もうひとつなじみが薄い。多くの日本人がまず思い出すのは、1988年公開のシルベスター・スタローン主演のハリウッド映画『ランボー3/怒りのアフガン』かもしれません。ソ連によるアフガニスタン支配を、ベトナム帰還兵のランボーが打ち破るというアクション映画でした。

古代マケドニアのアレクサンダー大王やモンゴルのチンギスハンの侵攻に耐え、ソ連の10年にわたる支配や、20年にわたった米国の軍事関与をはね返したアフガニスタンは、「誇り高き戦士たち」がつくる、歴史にもまれな不屈の多民族国家といえるでしょう。

米軍の全面撤退を明言したバイデン米大統領には「無責任だ」という非難が浴びせられていますが、わたしはバイデン氏の決断は間違っていない、と思います。米国はとっくに「世界の警察官」であることをやめました。大国が力まかせに地域紛争に介入する時代は、終わりを告げなければなりません。

だとしても、アフガニスタンはタリバン再支配のもとで、どんな国になっていくのか。テロ支援国家として孤立を深めるのか。中国の影響力が増していくのか。厳格なイスラム法のもとで、女性の就労や人権は再び制約されるのか。

「カカ・ムラト」(ナカムラのおじさん)とアフガニスタンの人々に敬愛された医師の中村哲さんが、武装勢力に銃撃されて亡くなったのは1年8か月前のことでした。泉下の中村さんは何を思うのでしょう。

(日刊サン 2021.09.03)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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