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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

「上り列車」の二人  田中角栄と菅義偉

 官房長官時代の菅義偉(すが・よしひで)首相と酒席を囲んだときの話です。下戸で、ボキャ貧。いつものぼそぼそとした語り口で、座はあまり盛り上がらなかったのですが、彼がこんなことをポツリと言ったことを覚えています。「わたしの田舎は(女優の)壇蜜さんが生まれたところと近いんですよ」。菅氏は一瞬、はにかんだような表情を見せました。 

 菅首相は秋田県南部の雄勝町(現湯沢市)のイチゴ農家の長男。壇蜜さんはすぐ北の横手市の生まれです。 

 菅少年は家の手伝いをしながら地元の高校を卒業。彼のHPによると「東京で自分の力を試したい」と家出同然で単身上京し、段ボール工場で働いたようです。昭和30年代から40年代にかけての日本は、戦後の高度経済成長期の真っただ中。菅首相の中学校の同級生の多くも「金の卵」と期待され、集団就職の夜汽車に乗って故郷に別れを告げ、東京や近郊の工場などで働いたのでした。 

 菅首相は集団就職ではないものの、東京でひとはた揚げよう、という野心に燃えた青年のひとりだったのでしょう。苦労して大学に通い、長い下積みの生活に耐え、「地盤・看板・カバン」も何もない徒手空拳(としゅくうけん)で政治の道に踏み出し、ついに宰相にまでたどりついたのです。 

 立志伝中の人物と言えば、田中角栄元首相に触れないわけにいきません。 

 時代は戦前にさかのぼります。1934年(昭和9年)3月、勉学を志して、まだ雪深い故郷の新潟を出た15歳の角栄少年は、列車を乗り継いで上野駅に降り立ちます。しかし夢破れて、転職を重ね、世間の荒波にもまれながら、その才覚を磨き、のしあがっていったのでした。 

 「角栄は上り列車の英雄だった」とは、わたしの大先輩の政治記者・コラムニストの早野透氏の名言です。田中元首相を間近で取材した早野氏は「戦後とは何か……国破れて山河あり。こんなひもじい思いはいやだ。まずは食えるように、今日よりは明日、生活はよくなってほしい。少しでも豊かに暮らしたい。それが民衆の願いだった」と書いています。田中角栄氏はそうした戦後復興の思想を体現し、途方もない強烈なエネルギーで、「右肩上がりの時代」の日本を引っ張っていったリーダーだったのでしょう。 

 コロナ禍で外出がままならい機会に、オンラインで高度成長期の日本映画を立て続けに再鑑賞しました。 

 1962年(昭和37年)の日活作品、吉永小百合さん主演の「キューポラのある街」は東京と荒川を隔てた鋳物の町、埼玉県川口市が舞台。工場を解雇された父親は酒と博打(ばくち)に明け暮れ、家計は火の車。中学生の娘のジュンは、修学旅行も、全日制高校もあきらめ、働きながら定時制高校への進学を決意します。映画では、貧しくとも力強く生きる在日朝鮮人たちの姿も活写されています。彼らも日本復興の一翼を担ったのでした。 

 その翌年に公開された倍賞千恵子さん主演の「下町の太陽」では、隅田川の東側に広がる東京の下町の生活が描かれました。石鹸工場の女工として働く町子に、同じ工場に勤める恋人の青年が夢を語ります。ばい煙で空がくすみ、ゴミゴミした下町を抜け出し、いつかは郊外の公団住宅で暮らしたいなあ、と。ダンスホールや浅草の遊園地、銀座の都電……。東京五輪前夜の、東京の匂いが立ち昇ってくるようでした。 

 「ALWAYS 三丁目の夕日」も東京タワーが建つころの昭和30年代の東京が舞台です。青森から集団就職で上京し、ちっぽけな自動車修理工場で住み込みで働く、堀北真希さん扮する六子(ろくちゃん)の健気さといったら。いつ観ても、目がウルウルとしてしまいます。 

 わたしはそのころ、徳島の小学1年生でした。金持ちの友だちの家に遊びに行くと、テレビの上に東京タワーのプラモデルが飾ってあり、金色の派手なモールやクリスマスツリーの電飾が巻かれて、昼でも点滅しています。それが、夢にも出てくるほどまぶしかった。きらめくような大都会・東京に憧れる、どこにでもいる田舎の少年でした。 

 高度成長期は公害や地域格差などのひずみも生みました。懐旧にひたってはおられません。でも、当時の日本には希望があり、明日の豊かさをめざして、人びとはひたむきでした。もはや、坂の上に白い雲はありません。どんな国をつくるのか。菅首相にさて、その志と熱はありや。

(日刊サン 2020.10.02)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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