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木村伊量の ニュースコラム

自由人になれますか? 大空に羽ばたけますか?

20世紀最大の科学者とうたわれるアルバート・アインシュタイン(1879-1955)。南ドイツのウルムで、ユダヤ人商人の子として生まれた彼は、こんな言葉を残しています。

「私は私の国にも、私の故郷にも、私の親しい人との間にも、さらには私の家族にさえも、心の底から帰属することはなかった」

なにものにも縛られない、大空を舞う鳥のような自在な精神が、比類のない天才を創り上げたと言うべきでしょう。しかし、われら凡俗の徒は、なかなかそうはいきません。国家や組織などの「棲みか」に身を寄せないと、孤独と不安に押しつぶされてしまうと感じることは少なくないはずです。だからでしょう、ときに、自由で気ままなネコがうらやましく思えてきます。

でも、四海に囲まれた島国・日本にも、国境というボーダーを越えてグローバルな世界をのぞき見た、規格外のスケールの人たちが、確かにいたのです。

古くは、仏典や文物を求め、波濤(はとう)を越えて中国に渡った遣隋使や遣唐使たち。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出し月かも」の歌で知られる阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は753年、16歳で日本を発ち、唐の玄宗皇帝に愛され、6年間も現在のベトナムのハノイで安南節度使を授けられました。帰国を夢見ながら果たせず、73歳で客死しています。

近世では、数奇な運命にあやつられた2人の日本人を思い起こします。江戸後期、伊勢を出て江戸に向かう途中に船が嵐に遭い、アリューシャン列島に流れ着いた大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)。人々からロシア語を学び、ロシアの首都ペテルブルクまで旅して皇帝エカテリーナ2世に帰国の許しを乞い、10年後に日本に戻ったのでした。なんという不屈の生命力!

幕末から明治初期にかけてのジョン万次郎こと中浜万次郎の波乱万丈の冒険譚(ぼうけんたん)については、多くの小説や評伝で描かれています。土佐に暮らす貧しい見習い漁師だった万次郎少年は、初めて漁に出たところ遭難。運よく米国の捕鯨船に助けられ、ハワイやマゼラン海峡を経て、米国の東海岸まで旅します。そこで、英語、数学、造船技術などを学び、期せずして「日本人初の米国留学生」となったのでした。帰国した万次郎は、草創期の日米間の草の根交流にも大きな足跡を残しています。

コロナ禍で巣ごもり生活が続くからでしょうか。国境などひょいと飛び越えて、奔放に生きた「あっぱれなボヘミアン」への憧れがいや増します。

オカッパ頭にロイドメガネ。個性的な風貌もあって1920年代の「エコール・ド・パリ」の寵児(ちょうじ)となった天才画家・藤田嗣治(ふじたつぐはる)、のボヘミアンぶりは、ちょっとケタはずれ。では、彼の話を少々。

生粋の江戸っ子でしたが、日本の西洋画壇の保守性に飽き飽きし、26歳で憧れのパリへ。芸術家が集うモンパルナスにアトリエを構えますが、フランス語は皆目わからず、芋一個で飢えをしのいだ日もある極貧の生活。しかし、「世界に名が残る画家になる」と大志を抱く藤田は、ピカソ、モディリアーニ、シャガールら巨匠たちや、モデルの女性たちと親しく交わり、才能を開花させていきます。西洋絵画の世界で初めて認められた東洋人画家が藤田でした。

「乳白色の肌」で知られる裸婦像は「グラン・フォン・ブラン(すばらしい白地)」と絶賛を浴びます。一心不乱に画業に打ち込み、独自の画境を開いた藤田ですが、帰国した日本は日中戦争の真っただ中。海軍嘱託の従軍画家として駆り出されます。戦後は心ならずも軍国主義者と非難を浴び、「日本へはもう帰らない」と言い残し、フランスに帰化。「レオナール・フジタ」を名乗りました。けれどもかつての栄光は再び戻らず、人生のたそがれが迫ります。

ボヘミアンへの憧れは、しょせん憧れにすぎないのでしょう。晩年のフジタの胸にはどんな思いが去来していたのか。

「私が日本を捨てたのではない。私が日本に捨てられたのだ」「日本に生まれて祖国に愛されず、またフランスに帰化してもフランス人としての待遇も受けず」と綴られた文章には、根なし草の異邦人ゆえの孤愁(こしゅう)が漂います。

やっぱり、人は祖国や民族という母胎の羊水にくるまれて生きていくのが幸せなのか。いやいや、あらゆる束縛を絶って、自由に大空に羽ばたくべきか。夏空を横切る鳥たちを眺めながら、思いはめぐります。

(日刊サン 2021.07.16)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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