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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

【ニュースコラム】新聞記者よ、地を這(は)え! 靴底をすり減らせ!

 いやはや、新聞記者の世界もそんなことになっているのか。現役の政治記者から当節の取材方法を聞いて、たまげました。

 「政治家や官僚の自宅への『夜討ち朝駆け』ですか? たまにはやりますけど、普通はメールとラインでの取材です。その方がお互い、わずらわしくないし」

 30年以上、新聞社の政治記者として永田町や霞が関周辺で「青春をドブに捨てて来た」わたしめとしては、なんとも複雑な思いが募ります。今回は、思い出語りを少々。どうか、おつきあいください。

 自民党取材が長かったのですが、毎朝5時ごろ、社の差し回しのハイヤーに乗って川崎の自宅から東京・淡島の竹下登蔵相の私邸へ。到着した順に3人までの記者が、起きてきた竹下さんを囲んで食卓で朝食をご一緒できるのです。絶好の取材機会。しかし、竹下さんは政局がらみの質問には、のらりくらり。「淡島に特ダネはなしだわ。はい、ごちそうさん」と言って食器を流しで洗い、わたしたちもそれに続きます。その足で、次は元麻布の「政界のドン」金丸信幹事長の私邸へ。奥様から自家製のパンをいただき、2度目の朝食。おかげで体重はぐんと「幾何級数(きかきゅうすう)」的に増えました。

 竹下さんからある日、「きのう、金丸の山中湖の別荘でカレンダーを見ながら、国会日程を打ち合わせた。あのメモはすぐにくず籠に捨てた」と聞き込みました。当然のように山中湖に車を飛ばし、別荘近くのごみ箱を漁りました。

 もう時効でしょうが、「ハマコー」こと浜田幸一さんから「おい、明日の朝は動きがあるぞ。ひと晩、幹事長の家の前で張り込んだ方がいいぞ」と耳打ちされました。深夜から金丸さんの私邸のポリボックスの後ろに潜んでいると、夏のことで身体じゅうを蚊に刺されました。朝方、シャッターがあいて夫人が運転するポルシェが出てきます。後部座席に身を潜めた金丸さんの頭がのぞきます。「やったー!特ダネだ」。近くに止めていたハイヤーでポルシェを追いかけました。

 1985年(昭和60年)、東京の九段会館で開かれた民社党第30回党大会は荒れ模様でした。退任する佐々木良作委員長の後継をめぐって、佐々木氏と春日一幸常任顧問が対立。春日氏は壇上で「五臓六腑(ごぞうろっぷ)が煮えくり返るわ」と怒りをぶちまけるのですが、このあと、控室の小部屋からも二人の怒鳴り声が聞こえてきます。そばにいた野党キャップが、「おい、あそこ」と天井を指さしながら、目で合図します。わたしは背広の上着を脱ぎ、ネクタイをとると、手すりをよじ登って空調のダクトの中へ。身体じゅう、ごみとクモの巣だらけ。そのすき間から、二人が灰皿を握りしめて向かい合っている様子を目の当たりにしたのです。後々まで語り継がれる「灰皿事件」の一部始終を目撃した記者はわたし一人でした。

 ワシントンに勤務した折、「時の人」だった共和党のニュート・ギングリッチ下院議長に「お近づき」になろうと、公邸から早朝のジョギングに出かける議長に近づき、名刺を手渡そうとしたら、伴走していた屈強なSPにはねのけられました。SPはスポーツウエアの懐に手を入れました。拳銃だったのでしょう。この後、米下院の事務局からきついお咎(とが)めを受けました。

 駆け出しの警察記者だった頃、愛知県の岡崎市で起きた大掛かりな選挙違反事件を検証した「無謀の構図」というタイトルの計108回の連載記事をひとりで担当しました。あるベテランの市会議員が市長からワイロでもらった札束を自宅のニワトリ小屋の中に隠した、と自供したことを知ったわたしは、もみ殻の中に札束がほんとうに隠せるものなのか、疑問を感じて、早朝、そのニワトリ小屋に忍び込みました。ニワトリは騒ぎ立てて、猛烈にわたしの手や顔をつついて傷ができるわ、もみ殻だらけになるわで、散々。後々まで、愛知県警の刑事部長には「よ、木村検事」とからかわれました。

 要するに、こわいもの知らずの、肉体派の突貫小僧だったのですね。なかには犯罪ぎりぎり、いや犯罪にあたる行為もあったはずで、思い出しても冷や汗ものです。当節に通用するわけはありません。ただ、記者に必要なのは何よりも現場感覚、というのはいまも変らない真理ではないでしょうか。

 刑事のように靴底をすり減らして人を訪ね歩く。臭いをかぐ。味わってみる。手で触ってみる。そうした皮膚感覚を鈍らせて、記者という仕事が成立するとはとても思えません。「新聞が読まれなくなった」と嘆く前に、もう一度、猟犬のような野性味のある記者魂を取り戻してほしいものです。

 そうでなければ、賢いチャットGPTの前にかしづく、情けない姿をさらす気がしてなりません。

(日刊サン 2023.6.9)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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