米CNNの最近のニュース報道に、目を疑いました。
地球滅亡のときに備えて、月面に地球上の生命のもとである670万種類の種子や胞子、精子、卵子のサンプルを保管する――そんな壮大な計画を、米アリゾナ大学の研究チームが練っているというのです。
月には200余りの地下溶岩の洞窟があることがわかっています。そこに、ロケットで250回ほど往復して、地上から運んだ種子や卵子を冷凍保存し、地球環境が何らかの原因で破滅的な事態に見舞われたとき、生物の全滅だけは免れようというプロジェクト。『旧約聖書』にある「ノアの方舟(はこぶね)」の21世紀版、といったらよいのでしょうか。
もちろん、太陽の放射熱や隕石から守る完璧なシェルターをつくる技術はまだなく、あくまで未来構想にすぎません。でも、いずれホモ・サピエンスの子孫たちはこの地球を飛び出して、宇宙のどこかで新たな生命をつないでいくのかもしれない。想像は果てしなく広がります。
地球は「巨大な生命体」ともいわれますが、「いのちの素」はどこからきたのでしょう。最初の生命は、どこで、どのようにして生まれたのでしょうか。
浅い海で光合成するシアノバクテリアだったという説、深海の細菌(バクテリア)だったという説、「ブラックスモーカー」と呼ばれる深海の、摂氏350度にも達する熱水噴出孔によってDNAやたんぱく質といった有機物などの生命の「素」がつくられたという説、などが知られています。でも、いまだに決め手はない。(なにしろ、それを目撃した人は誰もいませんからね)。
数ある仮説の中で、もっとも破天荒なのは「パンスペルミア説」でしょう。
それによると、生命は宇宙から運ばれてきたというのです。つまり、太古の時代に地球に降り注いだ隕石や流星に、ウイルスや微生物が含まれていたのではないか、というわけです。現に、1969年にオーストラリアのマーチソンという村に飛来した隕石からは、地球由来ではないアミノ酸が何十種類も見つかりました。
英国のサイエンスライターのクリストファー・ロイド氏は「もしかすると、地球上の生命誕生はほぼゼロから始まったのではなく、宇宙からある程度出来上がった部品が届けられたかもしれないのだ」と語っています。米国の分子生物学者クレイグ・ヴェンター氏は「生物は宇宙をさまよっていて、地球のように好適な環境にある土地に落ち着き、複製を始めるというパンスペルミア説は、決して突飛な考えではない」と言うのです。
つまり、わたしたちは元をたどれば、宇宙の果ての塵(ちり)だったのかもしれない。だとすると、冒頭の21世紀版「ノアの方舟」も、息も絶え絶えの地球を見限って新天地への移住というより、「ふるさとの宇宙に里帰りする」帰省銀河鉄道という方がふさわしいのでしょうか。
生命は妙(たえ)なる星・地球にだけに許された奇跡なのか。宇宙の最新科学については門外漢ですが、そうとは言い切れないように感じます。
土星の衛星のエンケラドスや、木星の衛星のエウロパでは、氷の下に海があって、生命現象につながる熱水噴出が行われていると考えられています。太陽系だけでもそうなのですから、太陽と同じような恒星がなんと2000億個もあるといわれる天の川銀河のどこかで、生命活動が行われているだろう、と想像しないほうが難しいのではないでしょうか。
じゃあ、どこかに宇宙人はいるのかですって? でも、考えてもみてください。そもそも、わたしたちチキュウジンはすでに「宇宙船地球号」に乗って、超高速で宇宙を旅している、まぎれもない宇宙人なのです。
鶴は千年、亀は万年。「ああままよ 生きても亀の百分の一」と江戸期の俳人・小林一茶は詠みました。わたしたち人間も、元をただせば「宇宙のひとかけら」。せいぜい100年の使用期限付きでリースされた肉体の中に生命を宿しているのなら、生きるも死ぬも、大宇宙の摂理に従うしかありません。つまらないことにウジウジと思い悩むことが、あほらしくなってきませんか。
「一期(いちご)は夢よ ただ狂へ」(閑吟集)。このコロナ禍、飲めや歌え、とはいきませんが、せめて春の星空を眺めて、ゆるゆるとまいりますか。
(日刊サン 2021.04.02)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。