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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

夜明けまえ ドクトルたちの苦闘

たまに自分の腕をながめて、佐賀の小学生だったころの、「罪悪感」といったら大げさですが、ほろ苦い記憶がよみがえります。

結核の予防のために、ツベルクリン反応検査(PPD)というのがありました。局所注射で皮膚が赤くなりますが、発赤の長径が10ミリ未満なら陰性、10ミリ以上なら陽性と判定されます。わたしはなぜか、いつも陰性か擬陽性。

そうした子どもたちはBCG注射をあらためて打たなければなりません。注射が何より苦手で臆病なわたしは、赤鉛筆で皮膚にうっすらと「加工」をして、円を大きく、濃く見せようとしたのですが、そんな子供だましがばれないわけがない。先生にこっぴどく叱られました。

さて、日本では収束どころか、第4波の到来が指摘される新型コロナウイルスの流行。すでに医療崩壊が起きている大阪をはじめ、感染力が強く、重症化もしやすいといわれる変異種がどうやら各地に蔓延しているらしく、よどんだ重い空気が漂っています。「東京に来ないで」と小池東京都知事は悲痛な訴え。これでは月末からの大型連休も行楽ムードとはほど遠いものになりそう。

そんななかで、一心に期待を集めるのはワクチンです。イスラエルではすでに国民の半分に接種が終わり、英国でもワクチン接種が進んでいる由。こうした国で感染者が急激に減っていることを知ると、やはりワクチンこそは「救世主」だと思いたくなりますね。

ハワイから一時帰国した日本人の情報によると、ホノルルではアラモアナに入っているドラッグストアや、大手スーパーマーケットでもワクチン接種ができるとか。日本の政府は「9月末までには16歳以上のすべての国民に接種できる」と言っておりますが、並みいるワクチン先進国からの立ち遅れは否めません。高齢者で、基礎疾患だらけの私などは、嫌いな注射でも覚悟を決めて、一日も早い接種を願っているのですが、さて、いつになることやら。

人類は感染症とのたたかいに明け暮れてきました。古代エジプト王朝のツタンカーメン王は19歳の若さで亡くなりましたが、ミイラの遺伝子検査で突き止められた死因はマラリア原虫による感染でした。古代アテネの全盛期を築いたペリクレスの命を奪ったのはチフスか天然痘と見られています。ファラオも偉大な政治家も、目に見えない感染症の前には無力でした。

天然痘は英国の医師ジェンナーが開発した牛痘(ぎゅうとう)によるワクチン接種が知られていますが、ジェンナーに先駆けること6年、江戸時代の筑前秋月藩(現在の福岡県朝倉市)の藩医・緒方春朔(おがた・しゅんさく)が、患者の瘡蓋(かさぶた)を粉末状にして、鼻から吸引させる治療法を編み出したことを忘れるわけにはいきません。2000人を超す子どもたちに施して、ひとりも命を落とさなかったということです。

春朔に限らず、近代医学の夜明けまえに、人びとの病気と治癒にひたむきに向き合った先人たちの苦闘ぶりには、感嘆せざるをえません。紀伊和歌山藩の医師華岡青洲(はなおか・せいしゅう)は麻酔による乳がん手術に初めて成功しましたが、奥方は麻酔薬で失明してしまいます。

アムステルダムで出版され、オランダ東インド会社の商船ではるばる長崎まで運ばれてきた「ターヘル・アナトミア」は、杉田玄白、前野良沢、中川淳庵ら日本の医師によって4年に及ぶ悪戦苦闘の末に読み解かれて翻訳され、1774年に『解体新書』として出版されます。

何しろ、辞書もなく、オランダ語はちんぷんかんぷん。オランダ語の「hart」が心臓のことだと突き止めるのにも四苦八苦。吉村昭の小説『冬の鷹』は、蘭書との出会いを次のように描いています。

「かれらは、二冊のターヘル・アナトミアをひらいた。永い沈黙が、かれらの間に広がった。かれらの眼前には、多くの横文字がびっしり並んでいる。『良沢殿、少しはおわかりですか』。淳庵がたずねた。『皆目、見当もつきませぬ。わからぬことは貴殿たちと寸分ちがいませぬ』。良沢が弱弱しい目をしてこたえた……」

世界保健機関(WHO)が天然痘の撲滅を宣言したのは1980年のことでした。人類は、そして日本人も、手探りをしながら、人体の不思議の究明や、いのちをおびやかす病とのたたかいに、精根を傾けてきたのです。新型コロナウイルスの前にひれ伏すわけにはいきません。

(日刊サン 2021.04.30)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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