日刊サンWEB|ニュース・求人・不動産・美容・健康・教育まで、ハワイで役立つ最新情報がいつでも読めます

ハワイに住む人の情報源といえば日刊サン。ハワイで暮らす方に役立つ情報が満載の情報サイト。ニュース、求人・仕事探し、住まい、子どもの教育、毎日の行事・イベント、美容・健康、車、終活のことまで幅広く網羅しています。

デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

【ニュースコラム】「情報爆発」の現代 ドブネズミ諜報員は消えゆくのみ?

 シンガポールを代表する高級ホテルに、コロニアル様式のラッフルズホテルがあります。第1次世界大戦中に英国の対外情報部(MI6)の諜報部員として活動した作家のサマセット・モーム(1874~1965)の定宿で、彼がウイスキーのソーダ割りをなめながら思索と執筆にふけったバーは「ライターズ・バー」(作家のバー)として語り継がれ、いまも旅人の人気を集めています。

 わたしも新聞記者時代に、そのバーを一夕訪ね、モームを偲んだ

ラッフルズホテル

思い出がありますが、最近、読み返す機会があったのは、1928年に書かれた『英国諜報員アシェンデン』です。モームの主著である『人間の絆(きずな)』や『月と六ペンス』ほど知られていませんし、イアン・フレミング原作の「007」のような派手なアクションはなく、あっと驚く秘密兵器も、ハニー・トラップの美女も登場しませんが、自身の体験を元にした、登場人物の細かな心理や情景の描写が味わい深い第一級のスパイ小説です。

 密命を帯びた主人公のアシェンデンは、中立国スイスを拠点にヨーロッパ各国で、ひと癖もふた癖もあるメキシコやギリシャの諜報員や工作員と接触します。20年近く前にロンドンのカフェで、匿名を条件に取材した、MI6出身の元陸軍大佐の言葉を久々に思い出しました。

サマセット・モーム

 「007のジェームズ・ボンドみたいな、プレーボーイで不死身の諜報員はお目にかかったことはないなあ。たいてい、年季が入ってくたびれたコートを羽織った、さえないドブネズミさ。モームが描くアシェンデンはかなり実像に近い。さすがに見事な描写力だよ」 

 わたしが元大佐に取材したのは、英国を代表する新聞『タイムズ』紙に、カラー刷りのMI6の求人広告が載ったからでした。100年近いMI6の歴史でも、広く一般の国民に人材を募るのは初めて。その頃、英国は米国とともに、フセインのイラクが大量破壊兵器を所有している、という極秘情報をもとにイラクとの戦争に踏みきりました。しかし、大量破壊兵器は見つからず、諜報機関の威信はガタ落ち。「多様な経歴とバックグラウンドを持つ人材を広く集めたい」。異例の広告はMI6の危機感の表れだったのです。

 わたしは朝日新聞に「スパイ勧誘大作戦 求む『ジェームズ・ボンド2世』」という記事を書きました。

 ジョン・ル・カレ原作の『寒い国から帰ったスパイ』という1965年製作のサスペンス映画を観た記憶があります。冷戦期のベルリンの壁で、主人公の英国の諜報員が射殺されるラスト。気が滅入るような暗く重い映画でした。

 冷戦期を通して、「最大の二重スパイ」と呼ばれたのはロシア人の諜報員、オレーク・ゴルジェフスキーです。ソ連の国家保安委員会(KGB)のエリート諜報員が、共産主義の現実に幻滅し、1974年に英国のMI6の二重スパイになって暗躍する流転の人生と、東西冷戦の内幕を描いたベン・マッキンタイヤーのノンフィクション『KGBの男』は、世界的なベストセラーになりました。

 もちろん、諜報の世界では、個々人が築き上げた濃密な人脈に依存する「ヒューミント」の呼ばれる情報収集力が、いまも尊重されているのは間違いありません。しかしながら、冷戦はもはや遠い昔。プロの諜報員が国家の命運を担って暗躍する時代は、デジタル全盛のもとで大きく変わりつつあるようです。

 いまや情報戦の主役は、AIによる顔認証技術やGPS(全方位測位システム)、監視カメラ、ドローンを駆使した「ビッグデータ」の集積です。熟練したスパイの「職人芸」やカンに頼るよりも、根こそぎ集めたビッグデータを使って、怪しい人物かどうかをたちどころに照合できる「マス・サーベイランス(無差別監視)」の網をかけた方がよほど効率的。サイバー・スパイという新語も最近はよく見聞きします。

 ハイテク・インテリジェンス活動が、ここにまで及んでいるのかと世界を震えさせたのが、2013年の元米中央情報局(CIA)職員エドワード・スノーデンによる暴露でした。スノーデンは大量の機密情報が詰まったUSBメモリーをひそかに持ち出し、ジャーナリストらに渡していたのですが、そこには、驚いたことに中国やドイツ、フランス、日本の政府関係機関の盗聴記録なども含まれていたのです。

 SNSが飛び交い、クレジットカードやポイントカードの情報が簡単に盗み見られる現代。「ひとり当たり150個のセンサーが取りつけられている」ともいわれます。諜報員や密告者がいなくとも、あなたがだれであるかは、とっくにだれかに知られている。空前の監視社会にわたしたちは生きているのです。

(日刊サン 2024.2.23)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
Twitter
Visit Us
Instagram