日刊サンWEB|ニュース・求人・不動産・美容・健康・教育まで、ハワイで役立つ最新情報がいつでも読めます

ハワイに住む人の情報源といえば日刊サン。ハワイで暮らす方に役立つ情報が満載の情報サイト。ニュース、求人・仕事探し、住まい、子どもの教育、毎日の行事・イベント、美容・健康、車、終活のことまで幅広く網羅しています。

デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

遁げろ家康 遁げたなゴーン

 Ghosn has gone.――「風と共に去りぬ」(Gone With the Wind)という米国の南北戦争を舞台にした古い小説のタイトルや、「飛んでイスタンブール」という庄野真代の懐かしい歌を、つい思い出してしまいました。のっけから、オヤジギャグで失礼!

 

 やれ、「日本の法治国家としての面目は丸つぶれ」、やれ「日本の入国管理はザル。こんなことなら、テロリストがひそかに出入国するのも朝飯前」と、テレビのワイドショーは連日、カルロス・ゴーン話でもちきり。この年末年始、大みそかの紅白歌合戦も、正月恒例の箱根大学駅伝も、ゴーン被告のあっと驚くレバノン逃亡劇の前にはかすんでしまいました。

 

 法務大臣は記者会見で、自分は被害者だと言わんばかりの発言をしていましたが、それは違いますね。かりそめにも法治国家なら、真っ先に責任を問われるべきでしょう。大阪の富田林警察署に拘留中の容疑者が逃走した事件などとは、わけが違うのです。みんな想定外の事態に呆然として、責任をなすりつけあう情けない姿を世界にさらしてしまいました。おいおい、日本は大丈夫か。

 

 変装してタクシーや新幹線を乗り継ぎ、音響機器を運ぶ大型ケースに身をしのばせてプライベートジェット機で逃亡、と舞台装置は大仕掛け。でも、所詮は安物のB級ハリウッド映画くらいにしか見えないのはどうしたことでしょうか。それは、ゴーンという人物につきまとう、強欲ゆえの「さもしさ」からくるように思えてなりません。

 

 数年前、日産に君臨していたゴーン被告と東京・築地の寿司屋で会食したことがありました。寿司の会席を平らげ、さらに追加して注文した天ぷらをペロリ。その健啖(けんたん)ぶりに驚きましたが、もっと驚いたのは、彼が世界の大企業の経営者に比べて自分はいかにつつましい報酬しか得ていないか、を滔々(とうとう)としゃべり続けたことです。「〇〇憶円は少なすぎる」と繰り返したことをよく覚えています。

 

 わたしの彼についての印象は、失礼ながら、「自分のカネのことしか頭にない、案外と小人物だなあ」というものでした。

 

 逃げる、遁走する、逃亡する。これは小説や映画でしばしば主題となるテーマです。1960年代に日本でも放映された米国の人気テレビドラマに「逃亡者(The Fugitive)」がありました。妻殺しの汚名を着せられ、警部の執拗な追跡をかわすリチャード・キンブル医師の逃亡劇には、手に汗握りました。なんでも「脱獄映画」というジャンルがあるそうで、無実の罪を着せられて終身刑の判決を受けた主人公が、南米ギアナの絶海の孤島から手作りのいかだで脱獄をはかる「パピヨン」などはその代表例ということです。

 

 フランスの小説家アレクサンドル・デュマの「モンテクリスト伯」は日本では「巌窟(がんくつ)王」という題名で、明治時代から知られています。無実の罪で監獄に送られた主人公の船乗りダンテスが、脱獄して後に巨万の富を手にしてモンテクリスト伯爵を名乗り、自分を罪に陥れた者たちに復讐する物語です。

 

 こうした映画や小説が世に支持され、人々に勇気と感動を与えるのは、主人公たちが身に覚えがない不当な罰を受けながら、その過酷な運命を跳ね返していく不屈の強さと、何よりもそこに正義があるからでしょう。かたや、ゴーン被告の逃亡に正義はあるか。彼が繰り返し訴える「人質司法」という問題はあるとしても、蓄財を重ねた希代の「銭ゲバ」が、その財力にあかして手勢を雇い、保身をはかった、後味の悪い逃亡劇だとしか思えません。レバノンでの記者会見は、自己弁護に終始してお粗末でした。

 

 わたしが好きな歴史小説に、池宮彰一郎さんの「遁げろ家康」があります。

 

 徳川家康という人はなにせ小心者で、恐怖におびえると爪をかむ癖があったそうです。それに、実によく逃げたのですね。越前朝倉攻めで朝倉勢と浅井勢に挟(はさ)まれると、ただちに逃げた。三方ヶ原の戦いで武田信玄の軍勢にさんざん打ち破られると、「死ぬぞ、死ぬ、死ぬ」とわめきながら、ほうほうの体で浜松城に逃げこみました。本能寺で織田信長が討たれると、家康は堺から伊賀の山越えをして、三河の岡崎城に逃げ帰りました。

 

 逃げて、逃げて、逃げまくって、家康はついに天下を手にしたのですが、うすら寒い逃亡劇の果てにゴーン被告を待つものは、さて。

 


木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。


 

(日刊サン 2020.1.18)

返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
Twitter
Visit Us
Instagram