【高尾義彦のニュースコラム】国立劇場再整備構想の現状を心配する
皇居お堀端に位置する国立劇場は56年の幕を閉じ、建て替えのため10月末で閉場した。再整備事業を担当する日本芸術文化振興会(長谷川眞理子理事長)によると、新しい国立劇場はホテルやレストランと一体化し、「国内外の人々の交流を生み出す文化観光拠点」とする構想という。2029年度完成を目指すが、再整備を目指す事業者公募で昨年10月以来2度にわたり入札が不調に終わり、着工のめどは立っていない。6年後に本当に再開できるのか、その間、歌舞伎や文楽などの主催者は、代わりの劇場を探さなくてはならず、演劇関係者や愛好家の間に深刻な懸念が広がっている。
国立劇場は正倉院をイメージして建てられ、1966年に日本で最初の国立劇場としてオープンした。劇場は大小2つで、歌舞伎、文楽、雅楽、日本舞踊など日本の伝統芸能を継承する舞台としての役割を担ってきた。落語などを演じる隣接の国立演芸場(79年開場)も含め、老朽化を理由に建て替えを決定し、文化庁は2022年度補正予算で再整備事業の一部として500億円を計上した。しかし、円安や人手不足の影響を受けて建設費が高騰し、2回の入札が、1回目は入札ゼロ、今年6月の2回目は数社が参加したものの落札には至らず不調に終わったことを受けて、コストの見直しを迫られている。
政府は2020年に再整備の方針を明らかにした際、民間資金活用による社会資本整備(PFI)の手法で、25階建てのビル上階には民間経営のホテルなどを併設する計画を発表したが、なぜ公共の国立劇場にホテルなどを組み込む必要があるのか、疑問を抱く向きも少なくなかったようだ。というよりも、なぜ工期が6年もかかるのか、具体的な構想の内容や国民にとってどんなメリットがあるのか、こうした点がしっかり情報提供されてこなかったという印象が強い。
先に建て替えられ2013年に新装開場した銀座・歌舞伎座の例を見てみよう。戦後の歌舞伎座は空襲で劇場の大部分を失い、1954年に第四期歌舞伎座の建設に着工し、翌年1月に復興開場した。これを2010年4月に建て替えのために休館し、第五期歌舞伎座は2013年2月竣工、3月には開場式が執り行われた。工期は約3年で、正面や舞台は旧来のイメージを残すとともに、背後にオフィスビルとして29階建ての「歌舞伎座タワー」を設け、ビルが劇場を抱き込む形のデザインとなっている。
こちらは民間の松竹が施工主で、柔軟な発想が歌舞伎ファンにも受け入れられたようで、筆者もこけら落しをはじめ、何度か舞台鑑賞に足を運んだ。当初は銀座にそびえるタワービルに違和感もあったが、地下鉄東銀座駅直結の地の利もあって大企業などが入居し、地下2階の「木挽町広場」も人気を集めている。
国立劇場閉場直前の9月末に、歌舞伎と新派の俳優が総出演する第39回俳優祭が大劇場で開催された。祭に参加した歌舞伎の市川團十郎さんは「再開のときは頼んだよ。(でも)再開の目処は立っていない」と花道の引っ込みで発言し、大爆笑と喝采に包まれたという。
その場に漂った不安感は、演劇関係者や愛好家に共通した心理だったと推測される。建て替えが実現するまでの期間、歌舞伎や文楽はどこで演じられるのか、これが大きな課題になる。例えば尾上菊五郎劇団は毎年、国立劇場の正月公演でその年の幕を開ける慣例だったが、来年は渋谷区にある新国立劇場を使う予定だという。しかし新国立劇場には歌舞伎に必要な花道がないなど厳しい条件があり、どう解決するのか。菊五郎さんは10月29日に開かれた閉場の記念式典で、100公演を超える舞台に立ってきた経験を踏まえ、「長年親しみ、出演してきた劇場としばらくお別れするのは、本当にさみしい。再開場する日を楽しみに待ちたい」との言葉を寄せている。
新国立劇場のほか、文楽は北千住にある1010シアター、演芸は紀尾井ホールなどが代わりの施設として名前があがっている。これまで2度ほど国立劇場などで文楽公演を見た人間国宝、桐竹勘十郎さんたちは、明治神宮外苑にある日本青年館に会場使用を打診したという話を聞いた。それぞれの団体が「6年間の空白」に頭を痛めているようだ。
文楽の世界でこの春、衝撃的な「事件」を耳にした。大阪の国立文楽劇場は技芸員になるための研修生を募集しているが、今年は応募が一人もいなかった。研修生は2年間をかけて人形・太夫・三味線の技を身につけ文楽の後継者となる人材で、50年の歴史の中でも初めてのこと。将来を担う若者の関心の薄さと、「空白期間」に演芸に接する機会が減ることが、マイナスの相乗作用を起こさなければいいが、と心配する。
国立劇場の建て替え問題は、関西大阪万博2025の準備が進まず開催が懸念されている問題連想させる。直面する建設費高騰の課題は共通し、加えて国民の情報共有の不足という側面でも、似通った経過をたどる。つけを国民に回す政治はご免、と言いたい。
(日刊サン 2023.11.8)
高尾義彦 (たかお・よしひこ)
1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ』を自費出版。