【高尾義彦のニュースコラム】平成の鬼平、中坊公平さん。その「プロボノ」の心意気、継承を
元日弁連会長、中坊公平さんが亡くなって10年になる。中坊さんが大阪地・高裁のそばに所有していたビルのワンフロアを市民運動などの拠点として格安で提供してきた「プロボノ・センター」が、この4月で幕を閉じた。志を引き継いできた弁護士や市民が小冊子『プロボノセンターの記憶 1992年~2023年』を発行した機会に、「プロボノ」の意義を改めて考えたい。
小冊子にはセンターの名付け親でもある井上善雄弁護士はじめ25人が寄稿している。名前は、ラテン語の「pro bono public(よき社会のために)」に由来し、人権擁護、平和、社会正義の実現など「公共のために」活動する法律家と市民のための会議室として1992年1月11日に発足した、と日高清司弁護士が巻頭言に記す。中坊さんは日弁連会長の2年間の任期を間もなく終える頃で、いまでこそ「プロボノ」はなじみのある言葉になったが、中坊さんから初めて聞いた時には新鮮な印象を受けた。
中坊さんのプロボノへのこだわりは、森永ヒ素ミルク中毒事件で被害者の弁護団長を務めたことに遡る。中毒が残る子供たちを一人ずつ訪ねた「被害者訪問」(1973年)の体験が、それまでの弁護士活動を見直す転機になった、と講演などで振り返っていた。
センターは第五大阪弁護士ビルの3階に設けられた。敷地面積約150平方メートル。20人ほどが座れる会議室とテレビ、ソファが備えられたサロン風の部屋。コピー機、ファクス、電話、書類棚、冷蔵庫などの設備が整えられ、土日も含め24時間使用可能で、利用料は当初3時間1,000円の設定だった。
ここはもともと豊田商事事件の管財人事務所として使用され、6年間の業務を終えて、会議室として整備された。豊田商事事件は1980年代前半に発生した悪徳商法による詐欺事件で、高齢者を中心に全国に被害が広がり、その救済のため中坊さんの仲間の弁護士が管財業務を担った。
9月末発行の小冊子によれば、利用団体は、年によって異なるが、年間70団体から130団体を数えた。毎日新聞に活動終了が報じられた4月27日、夕刊の見出しには「市民社会のゆりかご、有終」と見出しがつけられた。市民運動を育て、温かく見守る貴重なスペースだった。
例えば井上弁護士は、違法な自動販売機が全国の路上に設置され人々の往来や公共交通を妨げている事態を取り上げ、飲料メーカーなどと交渉し、自販機の撤去を求める活動を開始したことを報告している。その活動の拠点がプロボノセンターで、活動は世論も巻き込み、メーカー側が違法自販機を撤去する成果を生んだ。一般市民が中心となった画期的な活動は、市民活動を日本全国に波及させる起爆剤の1つになった、と井上弁護士はその意義を振り返る。
センターを拠点とした市民活動を小冊子から拾い上げると、消費者法ニュース事務局、農薬などによる環境汚染に警告を発したレイチェル・カーソン女史の哲学や活動を引き継ぐレイチェル・カーソン日本協会、証券取引被害者救済活動、消費者行政市民ネット、消費者情報ネット、青年法律家協会、弁護士、司法書士、税理士、社会保険労務士など11種類の国家資格を持つ「士業」の集まりである「八青会」、税金オンブズマン、靖国合祀いやです・アジアネットワーク、小泉首相靖国参拝違憲訴訟、神坂さんの任官拒否を考える市民の会、NPO法人障害年金支援ネットワーク、生活保護問題対策全国会議、コロナなんでも電話相談会、和歌山カレー事件再審弁護団、リニア市民ネット・大阪……。
さまざまな市民団体が、それぞれの課題を抱えて、ここで交流を重ね、知恵を絞って、社会正義の実現に熱意を傾けた歴史が読み取れる。31年を経て、そんな場所がなくなることへの危機感も行間から漂ってくる。
センターで6年前まで「管理人」を務めてきたのが、長崎県五島出身の津村裕子さん(74)で、お茶や生け花の用意をしたり、みんなが使いやすい場所にと気配りを重ねてきた。中坊さんの信頼も厚く、中坊さんは激務の合間にセンターを訪れ、つかの間の息抜きの場としたこともあったようだ。小冊子の寄稿のあちこちに名前が登場し、津村さんの心配りが伝わってくる。「八青会」の会員が五島を訪れ、税金などに関する相談会を開いたこともあった。
中坊さんとの個人的な縁は、日弁連会長退任にあたって、自伝的な書物を出版したいとの打診があり、周辺の取材も加えて『強きをくじき 司法改革への道』を毎日新聞社から1992年に刊行したことが始まりだった。その後、住宅金融債権管理機構の社長就任(1996年)や香川県・豊島の産業廃棄物撤去を求める住民団体の弁護団長を引き受け、「平成の鬼平」としての活動を、新聞記者としてフォローすることになった。
小冊子にはそんな思い出も寄稿したが、中坊さんとともに生き、ともに戦った人たちが「プロボノ」の心意気を持続・拡大して、よりよい社会の実現を、と望みたい。
(日刊サン 2023.10.11)
高尾義彦 (たかお・よしひこ)
1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ』を自費出版。