【高尾義彦のニュースコラム】国交回復50周年 中国とどう付き合うのか
日本と中国はこの秋、国交回復を実現して50周年を迎える。本来なら双方の首脳が行き来して記念すべき年を祝うことが想定されるが、現状をみると、友好的な雰囲気は全く感じられない。ますます大国化する中国と、日本はどのように付き合ってゆけばいいのか。
歴史を振り返ると、1972年9月25日、当時の田中角栄首相らが訪中し、毛沢東主席、周恩来首相(いずれも当時)と会談、29日に日中共同声明に調印し、国交回復が実現した。長女の真紀子さん(元外相)が今年初め、毎日新聞のインタビューに答えて、いつも海外に同行していた真紀子さんに元首相は訪中前に、「今回だけは連れていけない」と告げ、「一命を賭した訪中だった」というエピソードを明らかにしている。
台湾との関係を重視する自民党内から帰国直後の議員総会で吊るし上げを受けるなど強い抵抗を受けた。ニクソン大統領(当時)の電撃的訪中後も国交回復はまだ実現していなかった米国にとっても、想定外の決断だった。
のちに筆者は元首相が5億円の受託収賄罪で訴追されたロッキード事件を取材した。当時、事件の発端は米上院小委員会からもたらされた情報だったことから、中東からの原油輸入交渉など田中資源外交も要因となって田中嫌いが支配的となった米側の陰謀という真偽不明の話が語られることになった。
訪中時、中国側から毛主席の愛読書といわれる「楚辞集注」という糸とじ本を贈られたという。古来、日本は中国の文物を受け入れ文字や文化を発達させてきた。長い目で見れば、二つの国の付き合い方は、血の通った、人間同士の交流が基礎になってもよさそうだが、現実の政治は文人的な感覚を受け入れてはくれない。
最近、日米中の関係で一気に緊張が高まったのが、台湾をめぐる問題だった。対中強硬派で知られるペロシ米下院議長(72)が台湾を訪問、蔡英文総統と会談し、中国側の大きな反発を招くことになった。中国側は台湾を取り巻く6か所の海域・空域で連日、軍事演習を繰り返し、ミサイル5発が日本の排他的経済水域(EEZ)にも着弾した。
かつて沖縄・石垣島を旅行した際、台湾は目と鼻の先にあることを実感したが、ミサイルは島の至近距離に射ち込まれたことになり、米中の緊張関係が、ただちに日本にも大きな影響を与えた。
日本ではロシアによるウクライナ侵攻以来、自民党を中心に防衛力増強を求める圧力が強まっている。奈良市で演説中に銃弾に倒れた安倍晋三元首相は「核共有論」まで持ち出し、核抑止力によって安全を図ろうとする政策からさらに一歩踏み込んだ。筆者の印象では、この主張は国民をさらに危険にさらす方向に進みかねないと懸念される。岸田文雄首相はいまのところ、「核共有論」に否定的だが、「力には力を」といった政策で中国などを硬化させていいのか、十分に考える必要がある。
2年ほど前には、習近平総書記(国家主席)の国賓としての来日が検討された時期があった。しかし、現在は話題にも上らず、環境は一変している。新型ウイルス感染が中国・武漢から始まり、最近は上海で2か月間のロックダウン(都市封鎖)により経済活動が停滞し、進出している日本企業も打撃を受けた。
もともと新型ウイルスの発生や感染拡大に関する中国側の情報開示には、不信感がつきまとった。これも50周年を素直に祝えない気分を助長しているかもしれない。
視点をグローバルに転じると、アフリカや東南アジアに伸びている中国の投資や支援に続いて、最近は、南太平洋島しょ国進出の動きも懸念材料になる。「覇権的野望の拡大」と指摘する自民党は、対抗策を検討するプロジェクトチームを発足させたが、これは中国がソロモン諸島と安全保障協定を結んだこと(4月)などが背景にある。
南太平洋は、米軍基地があるハワイ、グアムと米国の同盟国、オーストラリアとの間に位置するという地理的条件も、自民党などが神経をとがらせる理由の一つになっている。中国はフィジー、バヌアツなどにも経済支援の手を差し伸べ、王毅外相が活発なアジア太平洋外交を展開しており、この地域から目が離せない。
さらに、日本や米国が中国との友好関係を築くうえでネックになっているのが、新疆ウイグル自治区の人権侵害の問題だ。学生らを武力弾圧した1989年の天安門事件の後遺症もいまだに残り、返還25周年を迎えた香港での市民への対応も含め、「人権」がキイワードになる。
中国国内の政治スケジュールでは、69歳になった習近平総書記が秋の共産党大会で3期目を目指す公算大と伝えられる。日本との関係より、国内政治基盤の安定が優先されるとの観測が広がる。
経団連などは6月に「日中国交正常化50周年交流促進実行委員会」を発足させた。十倉雅和・経団連会長が委員長に、最高顧問には福田康夫元首相と二階俊博元幹事長が就任、式典などの記念事業に取り組む体制を整えたが、展望は見えていない。
高尾義彦 (たかお・よしひこ)
1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ』を自費出版。
(日刊サン 2022.8.17)