“一生懸命”はいつも素敵
今年はコロナウィルスのために、高校野球の全国大会が中止になったり、運動会も中止になったり、中止が検討されている学校も多いと聴いています。
私は、小さい頃から運動が大の苦手でした。運動会もやっぱりなかなか好きになれませんでした。とくに、「自分が他のみんなより飛び抜けて足が遅い」ということがこんなにはっきりと、自分だけでなく、応援している学校中の人たちにわかってしまう徒競走が苦手でした。
養護学校に来る前に小学校に少し勤めたことがありました。運動会の前の日、私は自分のことを思い出して「かけっこで、一番の人はもちろん素敵だけれど、たとえビリでも、最後まで一生懸命がんばって走っている人も、やっぱりおんなじくらい素敵だと私は思うの。明日、みんなの様子を私もみんなと一緒に走っているつもりになって、見ているよ」と言いました。
自分が小さいときに、いつもいつもとびぬけてのビリだったから、きっと思わずこんなことをお話したのだと思います。
運動会の当日、連絡帳の中に、クラスのお子さんのお母さんからのびっくりした一言がありました。「うちの子どもが、『お母さん、明日、徒競走頑張るよ』と言うのです。驚きました。うちの子は走るのが苦手で、運動会も大嫌い。運動会といえば行きたがらず、本当におなかまで痛くなるのです。ですからいつも運動会はお休み。お弁当の用意も買っていませんでした。それなのに、今年は『明日頑張るから、はやく寝なくちゃ』と言うのです。
驚きました。先生が、『ビリでもがんばる子は、一番を走る子と同じくらいえらい』と話してくださったとか。ありがとうございます。子どもは大好きな先生にえらいと思ってほしかったのだと思います」と書いてありました。
そして、運動会のあとの連絡帳には、「たとえ遅くとも、最後まで一生懸命走る我が子を誇りに思いました。徒競走のあと、子どもが『お母さん頑張ったよ』とうれしそうな我が子の姿に涙が出ました。一緒に食べるお弁当も美味しく、忘れられない運動会になりました」と書いてありました。
これまで私は、いつも早く走れたらなあと思っていたけれど、そのときばかりは、ああ、走るのが遅くてよかったなあと思いました。もし、足が速かったら、きっと、「頑張って一番になってね」と言ってしまっていたかもしれません。
人生に無駄がないというようなことをよく耳にしますが、どんなこともいつかのいいことにつながっているのかもしれないなあと思いました。世界中で体験した今年のことも、いつかのいい日につながっていると信じたいと思います。
山元 加津子
1957年石川県金沢市生まれ 富山大学理学部を卒業後、特別支援学校の教員と、作家活動をしてきたが、2014年に教員をやめ、2012年に立ち上げた障がいを持つ方もそうでないかたもみんなで幸せになろうと「白雪姫プロジェクト」を立ち上げ、その中で意識障害の方の回復の方法と意思伝達の方法などを伝えている。