18世紀から19世紀にかけて、クジラを追いかけて欧米の捕鯨船が太平洋を行き来することによって、ハワイと日本に新たな歴史が作られたことは興味深いです。
ハワイに捕鯨船が立ち寄ることから、先住民の生活も文化も治世も大きな変化を遂げていったのです。そして、日本も例外ではありませんでした。
12世紀以降のハワイは、神権政治的な族長統治の時代から、1795年になりカメハメハ大王がハワイ諸島を統一してハワイ王国が建国しました。その頃に、捕鯨船がどっとハワイに押し寄せてくるようになりました。捕鯨船団は、米国東海岸(ナンタケットやニューベッドフォード)から出港し、南米最南端の喜望峰をグルッと回ってハワイまでやってきたのです。さらに、クジラを追ってとうとう日本近海までやって来て、鎖国時代の日本へも開国を迫ります。鯨油を必要としてクジラを捕獲するためでした。
その結果、ハワイの場合は、先住民に投票などの規制をかけられることで、王国からハワイ共和国になって実質アメリカの傀儡国家となり、1899年にはとうとうハワイ準州として併合され、王国としてのハワイは消滅してしまいました。
さて、日本の場合はどうでしょう。ここで、1827年土佐清水市中浜の貧しい漁師の家に生まれた“万次郎(後のジョン万次郎)”の存在を思い出さざるをえません。
彼が14歳の時、仲間4人と小舟に乗って漁に出ますが、シケに遭い漂流してしまいます。6日後に土佐から760キロ、オアフ島から6000キロ離れた南太平洋の孤島“鳥島”に漂着し、約半年間の無人島生活を送ります。そこへアメリカ捕鯨船ジョン・ハウランド号が現れ、彼らはウィリアム・ホイットフィールド船長によって、ハワイへやってきます。しかし、万次郎だけは、さらに航海を共にし、アメリカ本土を目指します。
捕鯨船はアメリカ最大の捕鯨基地のマサチューセッツ州ニューベットフォードに帰港します。彼が日本人として初めてアメリカ本土の土を踏んだことになります。
ここからの彼の生涯が、日本の歴史に大きな影響をもたらすことになっていきます。やがて日本に帰国した万次郎は、アメリカの日本への開国迫まる中で幕府要職として、そして勝海舟や福沢諭吉らとともに咸臨丸に乗船し、再びアメリカへ訪れる時にも、明治維新をもたらす坂本龍馬や岩崎弥太郎、板垣退助らにも、アメリカで習得した英語力はもちろん、測量、航海術、海外情勢や、民主主義思想のすべてが、彼らに影響を与え日本建国に貢献します。
今太平洋に突き出た高知県足摺岬にジョン万次郎の銅像が立っていますが、その遥か海の向こうにハワイがあるのかと感極まった自分を思い出しました。
そして、ハワイと日本の歴史の転換点に、共通していることにクジラが関係していたことは、これもまたとても興味深いものですね。