私は初めて、この冬に日本最大級の砂丘“鳥取砂丘”を訪れました。2月のことでもあり、日本海の海は荒れ狂い、海から吹き寄せる風は時おり雪を交え、私の被っていた帽子まで吹き飛ばしてしまいました。誰もいない冬の海辺を歩いていると、今度は一気に横から雪が吹き付けてきました。北海道は函館生まれの私には、こうして景色や体験は、子供の頃を思い出せて郷愁の念を募らせるものでした。
その貴重な経験を後にして、日本海側から日本最大のマグロ水揚量を誇る太平洋に突き出た紀伊半島の“那智勝浦”を目指すことになります。鳥取駅から乗り込んだ電車が日本海側から山間部に入ると、窓から覗く外の景色は一面の雪となっていました。
やがて山を越えて太平洋側に入ると、今度は打って変わって晴れ間のある明るい景色が続いて行きます。日本の地形を、よく“裏日本”、“表日本”と呼びますが、こうして一気に日本列島を横断してしまうと、まさしくそれを実感します。新大阪駅で電車を乗り換えて、“特急くろしお”に乗車すると、窓の外の夕暮れに佇む太平洋側海岸線が展開されていきます。いよいよ紀伊半島をぐるっと周って紀伊勝浦駅を目指しています。
紀伊勝浦駅に到着した時は、もう夜の9時も過ぎていて勝浦港側のホテルにチェックインした頃は10時になっていました。ホテルの部屋に入って、港に停泊しているマグロ漁船の灯りに誘われ、再び外へ出て港を散歩することにしました。すでに水揚げを終えたマグロ漁船や、明朝の水揚げをするのだろうこうこうと灯りをつけた漁船が桟橋に停泊しています。
市場の方へ行ってみると、電気の下で一人の男性が何やらスマホをしていたので声をかけてみました。彼は漁船員でマグロの水揚げはすでに終えいて、明朝には出港するのだと言っていました。彼は37歳のフィリピン人で家族を国に残し、ずっとマグロ船に乗っているのだと話してくれました。彼の片言の日本語と英語で、辛うじて私たちの会話が成り立ったのですが、彼と別れてから、私は明日からのマグロ漁の安全操業と、無事に家族の元へ帰れることを祈りました。
さて、ホテルに戻った頃は11時を過ぎていて、彼は「マグロの水揚げは朝4時には始まる」と言っていたのですが、さて明日はどうしたものかと思いながら寝床に入りました。振り返れば今日は鳥取砂丘を目指して朝5時には起き、駅前のホテルから砂丘を目指して雪道を歩き、そして寒さの中で鳥取砂丘を1時間以上も歩いた日だったからです。
できれば、せっかくここまで来たのだから、早起きをしたものだと思いながら眠りにつきました。