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コラム 来夏の映画観ようよ

【来夏の映画を観ようよ】硫黄島からの手紙

 シュノーケリングをしに行った浜辺のそばにトーチカを見つけ、入ってみた。今から77年前、ここ父島から270km南にある同じ小笠原諸島に属する硫黄島では太平洋戦争で最も凄惨な戦闘が繰り広げられていた。

 19446月、小笠原方面最高指揮官の栗林忠道陸軍中将が硫黄島に到着する。栗林中将は2年間渡米し軍人外交官として駐在した経験があり、アメリカの兵力や戦略を熟知していた。そのため従来の日本軍の水際防御や安易なバンザイ突撃を良しとせず、部下の反発に合いながらも冷静かつ合理的な判断で内地での徹底抗戦に作戦を変更。また、理不尽な軍の規律も認めず元々パン屋だった一等兵の西郷を処刑から救う。サイパン、グアム、ペリリュー(パラオ)が陥落し戦況が悪化していく最中、遂にアメリカ軍は硫黄島に上陸、援軍も補給もない中で本土防衛をかけた激戦が始まる。

 記録によれば日本の兵力は20933名、アメリカは上陸部隊111308名に加え数多の航空母艦や艦載機劇中で再現された上陸の様子は、ノルマンディーか!と思えるほどの迫力で、端から勝ち目がないのが見て取れた。アメリカ側は硫黄島を5日で占領する予定だったものの戦いは1ヵ月以上に及び、29000人の死傷者を出す日本軍がそこまで粘れたのは栗林中将の戦略と部下を無駄死にさせない我々が一日でも長く守れば本土の国民も生きられるという信条があったからこそで涙が止まらなくなる場面が多々あるのだが、勝敗や戦果ではなく、日本もアメリカも当時国を守ろうとお互い同じ思いで戦場にいたことにあらためて気付かされ、そのメッセージ性を感じ、心を揺さぶられる内容となっている。

 トーチカにはくっきりと敷かれたレールの先にスリットがあり、外には美しい夏の青空と海が広がっていた。今ある平和は紛れもなく、日本を守ろうとして戦った多くの兵士の犠牲の上に成り立っている。8月の終戦記念日が近づく度、その事実と戦争の悲惨さを決して忘れてはならないと思う。

●加西 来夏 (かさい らいか)

映画は年間100本以上視聴、訪問国は39ヵ国~の旅する映画ラヴァー/主なロケ地はスタジオやアイスランドだったそうですが、トーチカの見た目や雰囲気は父島にあるものにそっくりでした。

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