(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、経営企画マンとしてのキャリアを積むため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。入社から1年半後、子会社の立て直しのため転籍、副社長に就任した。
2008年10月。私が副社長を務めるQAM社に新しい風が吹いていた。まず10月1日から、2名の社外取締役が常勤の取締役となった。うち1名は親会社の営業部長。私が親会社に入社した時からの無二の盟友であった。私がQAM社の副社長に就任した際に、彼も営業強化のため社外役員として名を連ねた。その彼がこのたび親会社の営業部長の座を降り、ちょうど一年前に私が行ったようにQAM社一本に専念することを決断したのだ。彼には華があり、いるだけでその場が明るくなるような存在だった。そんな彼の加入でQAM社の営業力は大幅に強化された。
そしてその彼は、QAM社を更に活気付かせる手土産を持ってきた。QAM社の主力サービスであったインターネット回線販売事業における強力なパートナーとのアライアンス話であった。その相手とは、ジャパネットたかた。同社についてはあえて説明する必要もないであろう。でも、この話が成就すれば、わが社の売上は飛躍的に伸びる。つまり、高田社長がTVで「このパソコンと同時にインターネット回線に申し込まれた方は、更にお値引きします」というセリフにあるインターネット回線が全て当社経由で取り次がれることになるからだ。この話を聞いて興奮しない社員は一人もいなかったことは言うまでもなかろう。
この話はトントン拍子で進み、数週間後には高田社長のご長男である専務(現在の同社社長)が、新宿住友ビルにあるわが社を訪れた。私も副社長として面談に臨んだ。今までも営業担当の取締役が説明してきたことであるが、社長以下、いかにジャパネットたかたが我々と手を組むことに理がかなっているかを力説した。そしてこの面談は笑顔で終えることが出来た。
インターネット回線販売事業において、サービスの提供者であるNTT東日本および西日本から、この提携が許可されたのはそれからしばらくしてからであった。そしてそれは、NTTのインターネット回線販売事業における巨大なトップディーラーの誕生を示唆していた。この時ばかりは我々QAM経営陣もそのアチーブメントに酔いしれた。
しかし、盛者必衰の理ではないが、我々の栄華は永く続かなかった。
わが社のインターネット回線販売事業を長きに渡って支えてきた協力会社の社長から、わが社の社長宛に電話があったのは、2009年の正月明けであった。そしてその一本の電話から、社長と私は一大スキャンダルに巻き込まれ、引いてはQAM社の屋台骨を震撼させることに発展していく。
かつて経験したことのない厳しい冬を迎えようとしていた。
(次回につづく)
No. 201 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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