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デジタル版・新聞

高尾義彦のニュースコラム

辺野古と沖縄の民意

 沖縄に旅した際に、何度か米軍普天間飛行場(宜野湾市)を見に行った。基地に近い展望台から、戦闘機などの発着が手に取るように見え、周辺に住宅地が広がる。日米両政府は、住民の安全のため住宅密集地に近接する基地の返還を決定、名護市・辺野古への移転を進めている。沖縄県議選では、辺野古移転に反対する玉城デニー知事の与党が過半数を占めたが、政府はその直後に辺野古埋め立て工事を再開し、沖縄の民意は無視され続けている。

 沖縄県議選(定数48)は6月7日投開票の結果、知事与党が1議席減らしたものの25議席と過半数を確保した。2年前に急逝した翁長雄志前知事の次男雄治氏(32)も初当選し遺志を引き継ぐ。

 沖縄では、翁長前知事逝去後の18年9月県知事選で玉城氏が辺野古案に反対を訴えて当選した。19年4月の衆院選でも玉城氏支援の候補が当選した。さらに19年7月の参院選でも玉城氏支援候補が当選し、「辺野古案反対」の民意は選挙を通じて、継続して表明されてきた。玉城知事はこれらの結果を踏まえて安倍首相らに辺野古移設以外の選択肢を求めてきた。

 この間、辺野古埋め立てに対する賛否を問う県民投票が19年2月に実施され、「反対」が投票総数の約72%を占める43万4273票に達した。この結果は米政府と安倍首相に伝えられ、沖縄の民意は誰の目にも明白だ。

 普天間飛行場をめぐる政治の動きを振り返ると、1996年に日米両政府が、周辺住民の安全確保などの観点から、普天間飛行場の全面返還で合意した。その条件となる移転先として日本政府は当初、辺野古沖への海上ヘリポート建設案を表明、紆余曲折を経て、返還決定22年後の2012年に日米が辺野古案で合意、政府は翌年、辺野古沿岸部の公有水面埋め立てを当時の仲井眞弘多知事に申請し、承認された。この承認に対して、翁長、玉城両知事が強く反対を表明してきたが、本当に辺野古埋め立てが最適の案なのか、政府が真剣に検討したとは思われないところに、問題の悲劇性がある。

 特に大きな問題なのが、埋め立て予定地の軟弱地盤の存在だ。軟弱地盤73ヘクタールの存在は18年3月に表面化し、翌年には最深部で海面から90メートルの深さにまで達するとの報告書が明らかになった。防衛省は構造物の沈下を防ぐため、7万7千本の杭を打ち込む計画だが、打ち込める深さは、現在の土木技術では70メートルが限界とされる。

 政府は地盤改良のため設計変更の方針を打ち出し、結果として埋め立て工事費は沖縄県の試算だと2兆5500万円という巨額に膨れ上がる見通しとなった。計画を見直した場合の政府案でも、経費は当初の2.5倍にあたる9,300億円、完成までに12年かかると報じられた。

 埋め立て現場では、関係者のコロナ汚染で4月17日から工事は中断していた。県議選直後の6月12日に再開されたが、埋め立て承認をめぐる政府と沖縄県の主張は平行線をたどる。 

 こうした状況の中で、河野太郎防衛相は6月15日、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備計画を停止すると、突然、発表した。計画は候補地である秋田県と山口県の同意が得られず、暗礁に乗り上げていたが、計画停止の理由は、ミサイル発射の際に落下させるブースターが住民に被害を及ぼす危険を避けられない技術的問題だという。4,500億円の費用が想定され、解決にはさらに費用がかさむ。日米安保体制の中で、前例のない決定であり、こうした決断が可能なら、辺野古移転の見直しも考えるべきだ、との世論が強まった。

 この問題を考えていて、知り合いの軍事アナリスト、小川和久さんが最近出版した『フテンマ戦記 基地返還が迷走し続ける本当の理由』(文藝春秋)を読んで、目を開かされた。ひとつは、米国議会政府監査院GAOが1998年、2009年、そして17年に公表した報告書で、辺野古案は、米海兵隊の作戦や訓練に必要な条件である「作戦所要」を満たしていない、と指摘した事実だ。日本政府は辺野古が唯一の解決策と主張し続けているが、米国から見れば「作戦所要」を満たしていれば、ほかの候補地でも構わないということだ。

 もう一つ納得したのは「返還合意後の普天間問題は純粋に日本の国内問題に過ぎない」「外交・安全保障について、国際水準の交渉能力を著しく欠く」という日本政府に対する批判だ。米国の言うことには反論できない、と国民には説明し、独自の外交努力をしてこなかったことが、これだけの迷走を生んだとの指摘だ。小川さんは「病める日本の諸症状」にも言及している。 

 数年前の出張の際、『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(集英社文庫)の著者、佐野眞一さんと那覇行きの飛行機で一緒になった。旧知の佐野さんは足しげく沖縄に通い、「小文字で」沖縄の現状をレポートしてきた。この6月、東京のメディアでも「沖縄慰霊の日」などを中心に、沖縄のニュースが目についたが、“本土”の我々が、どこまで沖縄と向き合うのか、も問われる。

 


 

高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ』を自費出版。


(日刊サン 2020.7.6)

1 コメント

  1. 高尾さん、ご無沙汰しております。このたびは過分な書評を賜り、有難うございました。当方の思いを汲み取っていただき、とても嬉しいです。このコラムのことは、佐々木宏人さんから教えていただきました。ますますのご健筆をお祈りいたします。コロナに負けず、頑張りましょう。

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