世界一の人口を誇る中国が揺れています。
習近平・国家主席がこだわる「ゼロコロナ政策」に反発する人々の抗議のうねりが、首都北京だけでなく、各地に燎原(りょうげん)の火のように広がり、上海では「共産党打倒」や「習近平退陣」のプラカードを掲げる群衆の姿が世界の注目を集めました。
「自由にものが言えない」ことの象徴として、抗議デモに参加している人たちは、白い紙を掲げました。彼らを公安当局は、こん棒で追い立て、紙を破り捨て、バリケードを築いていきました。
この大国にいったい、何が起こっているのでしょうか。
今回の抗議行動の発端のひとつは、新彊(しんきょう)ウイグル自治区のウルムチで10人が死亡した火災でした。コロナ感染防止を狙いにした地区封鎖などの過剰な対策が消火をさまたげ、救助が遅れた、と受け止められたのです。
世界を見渡しても、感染力が強い変異種が次々に現れて、封じ込め一辺倒の政策を続けるだけでは立ちいかなくなっています。中国の経済成長には急ブレーキがかかり、食品などの物流は滞り、職場が閉鎖され、生活苦にあえぐ人々のうめきにも似た声が聞こえてきます。ゼロコロナへの怨嗟(えんさ)の声は、共産党の一党支配への批判となり、ついには習主席にも及びました。
異例の共産党トップ3期目に突入し、「建国の父」毛沢東主席になぞらえるかのような個人崇拝を国民に押しつけている習主席です。しかし、国民は心の底では独裁をうとましく感じているのでしょう。一人の独裁者のふるまいに14億人の国民が「NO」を突きつけている構図です。集中砲火を浴びる習氏は、内心、焦りと恐怖を感じているに違いありません。
1989年の天安門事件は、時の最高権力者だった鄧小平氏が反政府デモを武力で制圧して、世界に衝撃を与えました。天安門広場に通じる長安街で戦車の行く手を阻もうと戦車の前に立つ「無名の反逆者」の映像は、いまも目に焼き付いています。あのような悲劇の再現は誰も目にしたくはありません。
香港の若者が民主化を求めた「雨傘運動」を、そして新彊ウイグルでの人権活動を力で抑え込んだのも、習政権です。しかし、権力がいくら強圧的に情報を遮断しようとしても、このご時世。SNSなどを通して中国の実情はたちどころに世界に滲(し)み出していきます。民心が離れた独裁が、長く続くわけはありません。21世紀に習王朝が追う「中華民族の夢」は、歴史の時計を後戻りさせる時代錯誤の幻想、というほかありません。
1987年秋、元自民党副総裁の二階堂進氏や、政治家になる前の田中真紀子氏(後に外相)らに同行取材して、北京の人民大会堂で鄧小平氏に会ったことがあります。避暑地の北戴河(ほくたいが)から戻ったばかりの鄧氏は、小柄ながら色艶がよく、身ぶり手ぶり豊かに弁舌をふるいました。後ろに控えているお付きの女性が鄧氏の動きに合わせて、大きな痰(たん)壺を抱えて右往左往、その壺の中に鄧氏がカーッと音を立てて痰を吐き出します。なるほど、この国の権力者とは、皇帝のような存在なのだと思い知りました。
最近、『パリの周恩来』(小倉和夫著、1992年)という本を読みました。第1次世界大戦の余燼(よじん)がくすぶる1920年、後に新生中国の初代首相となる周恩来氏はパリに留学します。22歳という若さ。2年後、パリで中国少年共産党ヨーロッパ支部が結成され、周恩来氏は宣伝部長に。彼のもとで広報文書のガリ版係を担当したのが鄧小平氏でした。
ロシア革命とソ連邦の成立。世界初の共産主義政権樹立の衝撃がヨーロッパを覆う中、遠く離れた故国の現状を憂いつつ、英国やドイツで見聞を広め、やがて帰国して苦難の抗日戦争に身を投じていくことになります。このころの群像の面影を追うと、いかに新たな時代を切り開いていくか、近代中国の建国に向けた理想と若々しいエネルギーにあふれていることに深い感動を覚えます。
しかし、今の老成した中国に、その輝きは感じられません。
真実を覆い隠すために、フェイクニュースを流してまで、共産党指導部が守り抜きたい中国の「核心的利益」とは何なのか。市民たちの蜂起によって、さすがに政権はゼロコロナ政策の緩和に動きました。権威主義国家の意外なもろさが浮き立ちます。中国は新しい時代に入ったのではないか、という予感がしてなりません。
(日刊サン 2022.12.9)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。