「笑わない男」が日本中の人気を集めたのは、ほかに記憶がありません。昨年秋のラグビーワールドカップで、日本のベスト8進出の立役者となった稲垣啓太選手のことです。
稲垣選手は決して笑わないわけではなく、華麗なトライを決めても、凱旋パレードでも、喜びを爆発させない控えめな人柄が共感を呼んだのですが、彼のコワモテぶりは、海外のラグビーファンの間でも知られているとのこと。稲垣選手には、はた迷惑な話でしょうが、「日本人はあまり笑わない」「冗談を言わない」という固定観念を、いちだんと補強することにもなったようです。
薩摩示現流(さつまじげんりゅう)で知られるサムライの伝統が色濃く残る鹿児島には「三年片頬(かたほお)」という言葉が伝えられています。男子たるもの、のべつ、へらへらしては威厳が損なわれる。笑うのは三年に一度、片頬をわずかに緩める程度にとどめよ、という戒め。いやはや、さすがに薩摩隼人(さつまはやと)のお国柄。ご立派というべきか。
わたしの佐賀の小学校時代の担任教師は、旧海軍兵学校の出身。「男は歯を食いしばり、顎(あご)を引け。にやにやするな」と江田島精神を叩き込まれました。そういえば、ずいぶん前ですが、俳優の三船敏郎さんが苦み走った顔で「男は黙って〇〇ビール」と決める、テレビCMもありましたっけ。
でも、いつもしかめっ面、ではコミュニケーションの点で難ありですよね。人間関係の潤滑油として欠かせないのはユーモアでしょう。
1980年代の米国に、ロナルド・レーガンという大統領がいました。B級西部劇にも出演した俳優出身の政治家でしたが、彼の持ち味はタフガイと、明るく楽天的なイメージ。暗殺未遂事件に遭って、担架(たんか)で病院に担ぎ込まれる途中、血に染まったシャツを女性看護師らに脱がされると「ちょっと待って。(妻の)ナンシーは知っているの?」。
いざ、手術台で執刀という際には、取り囲む医師団を見回して「君たち、共和党員だろうね?」。主治医の答えがこれまた、ふるっています。「大統領閣下、すべて共和党員の医師をそろえております」。後でわかったことですが、真っ赤なウソ。主治医は筋金入りの民主党支持者でした。命も知れないなかで、なおジョークを飛ばせる。そんなタフなリーダーに、米国民はぐっときたのでした。
英国も負けていません。これはわたしも目撃する機会があったのですが、2007年2月、ロンドンの議事堂のロビーでマーガレット・サッチャー元首相の銅像の除幕式がありました。あいさつで81歳の元首相は「鉄の像の方がわたしにはよかったかもしれません。でも銅像もいいですね。サビませんから」。これには見守る人々がどっと沸きました。現役時代、「鉄の女」の名をほしいままにした彼女の一世一代のジョークでした。
そこへいくと、日本の政治家は寂しい限りですが、例外がひとり。戦後を代表する宰相の吉田茂元首相です。日本を占領した連合国軍最高司令官のマッカーサー将軍とのある日のやりとり――。「ところで、GHQとは何の略ですか?」「そりゃ、General Headquarters(総司令部)に決まっているじゃないですか」「そうか、わたしはGo Home Quickly(すぐに帰れ)の略かと思っていました」。さすが、英国仕込みの必殺のジョーク。失礼ながら、お孫さんの麻生太郎副総理・財務相は、失言やダジャレのたぐいは数々あれども、上質なジョークとなると……うーん、思い出せないなあ。
日本でも、庶民の間では明治を「治まるめえ」とさかさに読んだり、「ぜいたくは敵だ」という戦時下のスローガンに一字を書き加えて「ぜいたくは素敵だ」という落書きが出回ったり。オカミや権威に対する健全な批判精神もどっこい、はぐくまれてきたのですね。
江戸期の日本史を彩るジョーク王を挙げるなら、弥次さん喜多さんの『東海道中膝栗毛』で知られる十辺舎一九(じゅっぺんしゃいっく)。いまわの際に詠んだ狂歌に「この世をば どりゃおいとまにせん香の 煙とともに灰左様(はいさよう)なら」。門弟たちに「棺桶(かんおけ)に入れて、そのまま火葬場へ」と言い残し、荼毘(だび)にふしたら、体にまきつけていた花火に点火してヒュルヒュルと上がり、轟音とともに空に大輪の菊の花が咲いたとか。
どうやら、花火は同時代の落語家の創作のようですが、そのユーモアのセンスも含めて、あっぱれ!
(日刊サン 2020.9.4)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。