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木村伊量の ニュースコラム

「平和の殿堂」を守り抜く

 「ガンバレ、ニッポン、ニッポン」と、わき上がる拍手と歓声――。新型コロナウイルス禍がなかったら、いまごろは、東京オリンピックで熱狂していたことでしょうか。

 前回の東京五輪が開かれた1964年の秋を思い出します。わたしは佐賀市の小学5年生でした。連日、テレビの白黒画面にかじりつきましたが、何よりも記憶に鮮明なのは、大会前、住んでいた家が面していた国道34号線を聖火ランナーが駆け抜けたことです。町内を挙げての「沿道美化運動」とやらで、街路樹のイチョウのまわりに花々を植え、白いペンキを塗った木の柵をめぐらせました。当日は待ちきれずに、朝から興奮状態。自分が走るわけでもないのに、心臓がドキドキしたのを今でもよく覚えています。

 コロナは再燃しているし、九州などで豪雨の災害が相次ぎ、痛ましい被害が出ているのを見ると、今年はとても五輪開催どころではありませんでしたね。世界でもコロナが終息する兆しはないし、はて、来年夏に延期されても開けるのか。じわりと、心配がふくらんできたように感じます。

 たまに、メインスタジアムとなる東京の新国立競技場の近くを通り、巨大な建造物を仰ぎ見ることがあります。現代建築の粋(すい)を凝らしたデザインと、その威容に圧倒されます。そうした折に、わたしがいつも思い起こすのは、繰り返し観た古い記録映画「日本ニュース」の映像です。

 戦局の悪化が誰の目にもはっきりしてきた昭和18年(1943年)10月21日。冷たい雨がそぼ降るなか、いま、新国立競技場が建つ地にあった明治神宮外苑競技場で、文部省主催の出陣学徒壮行会が開かれました。東条英機首相が「仇(あだ)なす敵を撃滅して、皇運を扶翼(ふよく)し奉(たてまつ)るの日は こんにち来たのであります」と甲高い声で訓示し、ペンを小銃に持ちかえて競技場に集った2万5千人の学徒の代表が「生等(せいら)、もとより生還を期せず」と答辞を読み上げました。

 スタンドは制服姿の女子学生ら5万人で埋まり、最後は「海行かば」の大合唱で悲壮な感情に包まれました。出陣学徒たちが行進してゲートを出るとき、思わぬ出来事が起こりました。女子学生らが出口になだれを打って駆け寄り、雨と涙で顔をくしゃくしゃにして手を振りながら、彼らを見送ったのです。後に作家となる杉本苑子さんもその中にいました。壮行会に臨んだ数千の学徒が、戦場で若い命を散らしたといわれます。

 スポーツと戦争は、分かちがたく結びついてきました。

 1936年のベルリン五輪は、ヒトラー率いるナチスドイツの国威発揚の場となりました。聖火リレーはこの大会から始まりました。古代ギリシャ・ローマ様式の壮大なスタジアムで繰り広げられた熱戦や式典の様子は、ダンサー出身で、ナチス協力者とされたレニ・リーフェンシュタール監督の記録映画『オリンピア』(日本では『民族の祭典』、『美の祭典』として公開)によって余すところなくとらえられています。ハーケンクロイツ(かぎ十字)の記章をつけたドイツの選手団や観衆は歓喜にふるえ、軍服姿で貴賓席に立つ総統に「ハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)」の敬礼を捧げるのです。

 ベルリン大会では、ハイライトのマラソンで日本統治時代の朝鮮出身、孫基禎(ソン・ギジョン)選手が日の丸を胸につけて優勝しました。リーフェンシュタールの映画は、「君が代」が流れる中、表彰台で複雑な表情を見せる孫選手を映し出しています。この年、日本では陸軍皇道派将校らによる2・26事件が起き、戦争への道を突き進んでいくのでした。

 1980年のモスクワ五輪は、当時のソ連による前年のアフガニスタン軍事侵攻に抗議し、米国や日本、西ドイツが参加をボイコットしました。その4年後のロサンゼルス五輪は、米国のグレナダ軍事侵攻を理由に、こんどはソ連や東側諸国が「報復」とばかりにボイコットしました。世界最大の平和とスポーツの祭典は、国際政治の大波に揺さぶられ、戦争の硝煙の臭いをかぎながら、なんとかここまで息をつないできたのですね。

 新国立競技場のゲートの近くには、高さ3メートルの「出陣学徒壮行の地」の碑が立っています。秋雨煙る日、学業を半ばに戦地におもむく学徒らの胸に去来した思いは何だったか。後世の日本にどんな希望を託したのか。それを考え続けるのは「戦無派」のわたしたち世代の責任でもあります。スポーツの殿堂は、いついつまでも、平和の殿堂でなければなりません。

(日刊サン 2020.8.7)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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