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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

ゆったり歩む 味わい深い人生

 人が歩く速度には、都市や地域によって、かなり違いがあるように感じます。たいてい上位に名があがるのは、ニューヨーク、香港、シンガポールあたりのグローバル都市のようですが、皆さんはどんな印象をお持ちでしょうか。

 わたしの「独断と偏見」を言わせてもらうと、断然、東京ですね。コロナ禍で「巣ごもり」が続き、体力が落ちているところへ、横浜郊外の自宅から、久々に電車に乗って東京の都心に出かけると、道行く人々が歩くスピードの速いこと!後ろから来る若い人たちに、「おいおい、ジイさん、ボーっと歩くんじゃないよ。邪魔だぜ」とばかりに、ひょいひょい追い越されてしまいます。

 ハワイでも高層のホテルやコンドミニアムが立ち並ぶ都会のホノルルを抜け出して、マウイ島やハワイ島に降り立つと、ヤシの葉にそよぐ風もまったりとして、人の歩みも、心なしかのんびりしているように感じます。

 空前のグローバリゼーションで地球は小さくなりました。地球の裏側の人びととも、パソコンやスマホで24時間いつでも通信できる、便利な世の中になったものです。でも、それと引き換えに、失ったものも大きいように思います。

 四国をドライブ中に見かけた交通標語に、にやりとしたことがありました。「あわてるな 昔はみんな 歩いてた」。そりゃ、そうだ。さすがに弘法大師空海ゆかりの88寺院をめぐる「お遍路さん」の地だな、と感じ入りました。

 かつての日本にも、現代人が想像も及ばないようなスーパー健脚家がぞろぞろいたのです。西行法師、松尾芭蕉、種田山頭火しかり。鎌倉時代に時宗を開いた「遊行(ゆぎょう)の僧」一遍(いっぺん)上人もその一人でしょう。伊予の国、現在の愛媛県松山市に生まれ、36歳のときにいっさいの土地や家財を捨てて旅に出て、51歳で亡くなるまで、ひたすら歩き続けました。その足跡は、北は岩手から、南は鹿児島にまで及んでいます。

 『一遍聖絵(ひじりえ)』は、早春、3人の従者を連れての出立(しゅったつ)の風景を描いています。荒涼とした刈田の上の空をシラサギの群れが舞う。何が一遍を厳しい旅に駆り立てたのか。歩くという行為自体が、己の信仰を研ぎ澄ます行(ぎょう)でもあったのでしょう。

 歩くとはすなわち、見ること。平安時代の僧円仁(えんにん)が約9年半にわたって唐代の中国を旅した記録『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』は、土地の慣習や風物をつぶさに描写しています。朝粥をかきこんでは、1日に何10キロと歩き、足で稼いだ第1級の紀行文です。

 世界では、エルサレム、ローマと並ぶキリスト教3大聖地、スペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼の道などが知られていますが、究極の巡礼となると、なんといってもチベット仏教に伝わる「五体投地」(ごたいとうち)でしょう。

 合掌した両手を高く掲げ、大地に身を投げ出し、ひれ伏すように額を土につけて拝礼。まるで尺取虫のような動きで、ゆっくりと前に進みます。その一歩、一歩にこの世と来世での平安を祈るのです。チベットの小さな村に暮らす11人の村人たちが、聖地ラサをめざして2400キロもの行程を五体投地で行く姿を描いた中国映画もありました。

 太古の昔、われらホモ・サピエンスの祖先が大型の類人猿と分かれて進化し、樹上生活に別れを告げて地上に降り立って身につけたのが「直立二足歩行」でした。二足歩行のおかげで、足は長期歩行に耐えるように丈夫になり、行動範囲はぐっと広がったはずです。そして、自由になった手で道具をつくり、獲物をとらえ、種をまき、農地を耕してきたのですね。

 そう考えると、歩くことこそは人間のあかしでしょうか。たまには急ぎ足を緩め、大地を踏みしめて、あるいはトボトボと、いや歩行器や車椅子の助けを借りてもいいから、歩む歓びを愉(たの)しみたいもの。路傍に咲く小さな花に目を止め、頬をなでる風に季節の移ろいを感じることもあるでしょう。

 でも、その思いは、たぶん人間に限りません。目が衰え、ヨロヨロと歩く老犬にも、わたしはひたむきに生きるものの哀切と、尊厳を覚えます。「世の創生とともに/駱駝(らくだ)は瘤(こぶ)を背負って歩いてきたのではあるまいか」(村上昭夫『動物哀歌』から)。せわしい世の中です。ゆったりと歩むことで、人生を深く味わうゆとりを持ちたいものですね。

 


木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。


 

(日刊サン 2020.7.17)

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