英国の女王エリザベス2世が、その年を、ラテン語由来の言葉に託して「アナス・ホリビリス=annus horribilis(ひどい年)」とふり返ったのは、1992年11月の戴冠40周年記念式典でのスピーチでした。
娘は離婚するわ、ロンドン郊外の居城ウインザー城は火事に遭うわ、チャールズ皇太子のダイアナ妃のスキャンダル暴露本は出るわ。忘れてしまいたいほどの最悪の年だったのでしょう。
その女王のスピーチが、久々に脚光を浴びたのは今年4月でした。新型コロナウイルスで、英国でも爆発的な数の感染者が出たことから、国民が一丸となってこの災厄と戦い、生き抜くよう呼びかけたのです。異例なことでした。そのときの彼女のきめセリフが「We’ll meet again.(またお会いします)」。年配の英国人にはなじみ深い、第二次世界大戦中に「英国軍の恋人」とうたわれたヴェラ・リンの大ヒット曲。国民的愛唱歌になりました。
第二次大戦中の歌といえば、ドイツ軍兵士の間で歌い継がれ、やがて連合軍の兵士にも広まった「リリー・マルレーン」が日本でもよく知られていますが、コロナ危機で打ちひしがれた英国人の心をぐっとつかむのは、なんといってもWe’ll meet again. 女王自身の発案でしょうか、優秀な王室スピーチライターがいるのでしょうか。
この曲はスタンリー・キューブリック監督の問題作『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』という、おそらく世界一長ったらしい題名のブラック・ユーモア映画の最後の場面で、つぎつぎと核爆発が起きる場面にかぶせて流れます。ヴェラ・リンはなお存命で、なんと103歳というから驚き。エリザベス女王より10歳ほど年長です。
希望と勇気を奮い起こさせるだけでなく、甘美で哀愁を帯びた、モノクロ映画のバックに流れるような歌声の彼女のCDは、わたしのお気に入り。寝静まった夜中に小音量で聴く世紀の歌姫の名曲の数々。至福のひとときです。
手元にあるCDを漁っていて、年齢を重ねると、もっとも心に深く染み入る演奏は、人生の黄昏(たそがれ)を迎え、あるいは、すでに世を去った巨匠、名匠たちのものが多いなあ、とあらためて気づきました。そのひとりは、20世紀を代表するピアニストのひとり、アルトゥール・ルービンシュタインです。
ポーランド出身のユダヤ人とあって、「ショパン弾き」として世にその名を轟かせましたが、多彩な才能を発揮し、88歳でロンドンフィルと共に録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」なども名盤に数えられています。演奏の正確無比さとか、技巧とかいったことは度外視して、天上の伸びやかな世界に自在に遊ぶような、悠揚(ゆうよう)迫らぬ演奏ぶりに、聴くたびに深い感動に包まれます。ルービンシュタインは95歳で亡くなりました。
1996年、大阪フィルの名指揮者だった朝比奈隆さんが渡米し、シカゴフィルを振りました。荘厳で吼(ほ)えるような金管の響き。演奏後、楽屋に訪ねました。季節は5月なのに「寒いなあ」と言って、すぐにコートを羽織りました。どういうわけか「朝比奈ブーム」で会場の外には日本からも「追っかけ」のファンが。晩年になるほど名声は高まり、93歳で世を去りました。
いつでしたか、日本を代表するピアニストのひとり、中村紘子(ひろこ)さんと、音楽家と年齢とともに深まる滋味、のようなことについて語ったことがあります。それというのも、中村さんには、ロンドン交響楽団と共演したショパンのピアノ協奏曲第1番、2番のCD録音があり、16歳で初めて1番を演奏した思い出に触れて、そのライナーノートにこう書いてあったからです。
「演奏家は誰しも、その心の奥深くに『秘蔵の曲』をしまい込んでいるに違いない。その曲のことを想っただけで、ふと胸がいっぱいになるような、自分の過ぎ去った日々のなかで何ものにもかえ難い価値をもって光り輝いているような、本当に特別な一曲を」
「80歳を過ぎたとき、ショパンは老いた私に何を語りかけてくれるだろうか。それをいま、ふと知りたいような気にもなる」
しかし、中村さんは80歳を迎えることなく、病のために、惜しまれながら72歳で帰らぬ人となりました。ショパンのこの曲を耳にするたびに、子猫のように愛くるしかった彼女の姿とともに、哀切の想いがこみ上げてきます。
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。
(日刊サン 2020.6.5)