新聞社の元政治記者たるもの、派閥に起きたこの大変動を見捨てるわけにはいきません。いえいえ、どこぞの国の政権政党で醜態をさらす派閥のことではありませんぞ。
大分市の高崎山自然動物園で、昨年秋、野生のサルの最大勢力のB群(640頭)と勢力を二分するC群(337頭)を率いてきた「ロバート」から「スケサン」への交代劇があったのです。ロバートはB群に仁義を切って(だかどうかだか知りませんが)派閥をくら替えし、その後釜の第14代リーダーに就いたのがスケサン。13歳のオスで、人間でいえば40歳くらい。
腕力を誇示するより、穏やかな性格で、ケンカを仲裁して「派内」をまるくおさめることで信望を集め、いつのまにか頂点に立ちました。20年ほど前までは強い統率力を持つリーダーは「ボスザル」と呼ばれてきましたが、現在では「群れを率いる」というイメージは薄れて、もっぱら「1位ザル」と呼ばれているそうです。うーん、失礼ながら、なんだか岸田首相タイプかな。
芋を海水で洗って食べるサルで知られる宮崎県串間市の幸島では昨年、リーダーだったオスの「シカ」がメスを追いかけて森に入ったまま戻らず、ナンバー2の「グレ」が異例な形で後継リーダーの座を射止めたそうです。
おサルさんの世界では、派閥内の権力争いはいつものこと。人間世界でも、3人集まれば派閥は生まれる、といわれます。一連の裏金騒動で、岸田首相は「自爆テロ」さながらに保守本流の名門派閥「宏池(こうち)会」の解消を出し抜けに宣言し、日本の政界は大揺れですが、派閥全盛時代の自民党を間近に見てきたわたしには、派閥がただちに消えてなくなるとは到底思えません。
盆暮れに親分からまとまったカネがもらえる、選挙で応援してもらえる、閣僚や党役員の人事で推薦してもらえる――そんなメリットを感じるからこそ、政治家たちは親分に忠誠を誓い、派内で「雑巾がけ」に励んできたのです。まことに旧態依然たる「日本型支配システム」という批判はその通りですが、現代日本に特異な現象かというと、そうとも言えません。
古代ローマでは、元老院議員らによる閥族派と、新興富裕層らがつくる平民派が権力争いを繰り広げました。イスラム世界では、後継カリフをめぐるスンニ派とシーア派の対立抗争が知られていますが、シーア派の中も十二イマーム派、イスマーイール派、ザイド派などに分かれ、よほどの専門家でないと頭がこんがらがってしまいそう。お隣の韓国では、李王朝時代の世襲官僚「両班(やんばん)」で保守勢力と革新勢力の間の「党争」が長く続き、それが近代朝鮮の停滞につながったともいわれます。
幕末から明治維新にかけての日本でも、薩摩閥や長州閥が、政府や軍の中枢を占めてのさばりました。「藩閥政治打倒」は大正デモクラシーの代表的なスローガンでしたが、藩閥政治の源流は、身内や仲間がもたれあって甘い利益を貪(むさぼ)り合う派閥政治に名を変えて、令和の時代にもしぶとく生き残っているように見えます。
動物も、人も、なぜ群れるのか。集団をつくるのか。
イキモノの多くは、個体でいることが危険で、集団でいることによって身の安全が図られ、効率的に食べ物にありつける。つまり、低ストレスでコスパよく生存できる、という本能的な判断があったから、という解釈はうなずけます。捕食者からの攻撃を避けるため、イワシなどの小魚が集まって球形の群れをつくる「ベイト・ボール」はテレビや映画でご覧になったことがおありでしょう。
「1億総孤独」といわれる現代ニッポン。他者に寄り添って生きていくことのありがたみは身に染みてわかります。一方で、群れることを毅然として拒み、孤高を味わう生き方も、少しは見直されていいのではないでしょうか。
わたしが若い頃から親しんできた原始仏教の経典『スッタニパータ』には「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」というブッダの言葉が出てきます。野生のインド犀は群れることなく、単独行動が知られています。でも、そうそう格好よくは生きられないのも、われら凡俗の徒の現実です。
古い仲間との「飲み会」などの予定が入ると、横浜郊外の田舎から、いそいそと都心の酒場に出ていきます。孤高もへったくれもありません。ふと見上げると、電線に止まった3羽のカラスがカアカアと。「なんだ、お前さん、今夜も群れるのかい」と、からかわれているのでしょうか。
(日刊サン 2024.2.9)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。