第1次世界大戦下のフランスの最前線を舞台に、泥まみれの塹壕(ざんごう)を這い出し、決死の覚悟でドイツ軍占領地の突破をはかる二人の若い英国兵士。戦場の地獄絵をリアルに描いた、サム・メンデス監督の映画「1917 命をかけた伝令」が日本でも公開され、話題になっています。
機関銃や飛行機、戦車などの近代兵器が投入され、人類初の「総力戦」となった第1次大戦では、900万人とも1500万人ともいわれる人々が犠牲になりました。ヨーロッパを血に染めた約4年間の大戦の硝煙がようやく収まるか、と思えた1918年、戦争をもしのぐ恐怖の嵐が世界を覆いました。「スペインかぜ」と呼ばれるインフルエンザウイルスの蔓延です。
米国のカンザス地方やボストン周辺が発生源ではと疑われ、米国から大西洋を渡った兵士らを通して伝染した可能性が高いとされる、この新奇なインフルエンザはたちまち世界をなめつくしました。致死率はふつうのインフルエンザの25倍とされ、若い世代を中心に全世界の人口の実に2割が感染し、低く見積もっても5000万人以上が犠牲になったのというのですから、古代から近世にかけてたびたび世界を襲ったペスト(黒死病)をも上回る惨状でした。1918年の米国の平均寿命は12年も短くなったそうです。
当時の日本でも国民の4割が感染したといわれ、犠牲者の中には、日露戦争の立役者の大山巌(おおやま・いわお)元帥の夫人で、「鹿鳴館の華」とうたわれた大山捨松(すてまつ)らも含まれています。
このインフルエンザの空前の大流行からちょうど100年たった2018年1月。スイスの世界経済フォーラム(ダボス会議)での「われわれは次のパンデミック(世界的大流行)への備えができているか?」と題した討論会で、世界保健機関(WHO)の感染専門家が、こう警告しました。「パンデミックが起こりそうなことはわかっている。しかし、われわれにそれを止める手だてはない」。この忌まわしい予言は、あたることになるのでしょうか。
知人から送られてきた句に「何事も コロナ次第の 弥生かな」。日本国内は、寄ると触ると新型コロナウイルスの話でもちきりです。多くの感染者を出したクルーズ船内に乗客、乗員をとどめての「集団隔離」は適切だったのか。ウイルスの「陰性」とされて放免され、公共交通機関で自宅に戻った乗客らに、こんどはなるべく公共交通機関を使わず、不要不急の外出を避けるように呼び掛けるのは、ちょっとおかしくないか。政府の対応が後手に回り、ちぐはぐなことに批判が高まると、安倍首相は唐突に全国の小中高に春休みまでの一斉臨時休校を要請。これには学校現場や働くママさんらから悲鳴が上がり、「政権の焦り」が混乱に拍車をかけてもいます。
超高速でグローバル化が進むご時世。「鎖国」時代へ逆戻りするわけにはいきません。もはや水際作戦だけでウイルスの侵入を食い止めるのは難しい。感染経路を特定できないまま、早晩、市中感染が広がると想定して、いかに感染のピークを抑えるかに知恵を絞るべきでしょう。
新型コロナウイルスを何とか抑え込んだとして、変異してさらに強力になって再来襲するか、新たな未知のウイルスが災厄をもたらすか。それは誰にもわかりませんが、いま、必要なのは「未知との遭遇」に備える心構えと、感染者が爆発的に増える事態も頭において、検査、収容、隔離、治療にあたれる態勢づくりのはず。そんなこと、国だけでできっこありません。地方自治体、医師会、民間病院を総動員したネットワーク整備は急務です。
ところが聞こえてくるのは「現場の事情をよく知らない厚生労働省のお役人や国立感染症研究所がとり仕切り、柔軟で機動的な防疫対応ができていない」といった声。クルーズ船の現場では、感染防止策を統括するプロの実務リーダーが足りなかったし、国は民間機関にゆだねた大がかりな感染検査に二の足を踏みました。すべてが後手に回るのも当然ですね。
東京電力福島第一原発の致命的なメルトダウンから9年。政府の初期対応の混乱や、官庁のタテ割り、東電など「原子力ムラ」の隠蔽(いんぺい)体質が、対応を遅らせて最悪の結果を招きました。わたしたちはあの悪夢から、何を学んだのでしょうか。
反射神経がサビつき、危機管理のイロハがおろそかにされている「無防備大国ニッポン」。うららかな春の訪れにも、寒々しさがひとしおの弥生です。
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。
(日刊サン 2020.3.7)