【高尾義彦のニュースコラム】沖縄復帰50年、本土が引き受けるべき責任は
NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』は沖縄の本土復帰50年を記念して制作され、日々、テレビから沖縄弁が耳に届く。沖縄は5月15日、米国から復帰50年を迎えたが、いまも、日本にある米軍基地の7割が沖縄に集中し、実質的に、本土の日本人が沖縄に犠牲を強い続けている構図は変わっていない。「沖縄の米軍基地を『本土』で引き取る!」という市民運動を振り返りながら、現状を見つめ直したい。
復帰の日に合わせて新聞やテレビには、沖縄に焦点を当てた連載企画やルポ、特別番組が集中し、メディアとしてこの問題に真摯に取り組む姿勢を示している。戦没者20万人といわれる沖縄戦体験者の証言。沖縄に関わってきた政治家たちの発言。通貨がドルから円に変わった劇的瞬間……。ただ歴史を振り返るだけでなく、米軍普天間飛行場の辺野古移転など永年の課題となりいまも解決の糸口が見えない、現在進行形の課題も突きつけられている。
何度か訪れた沖縄で「平和の礎(いしじ)」やひめゆり平和祈念資料館などに足を運んだ体験を噛みしめながら、節目の年の思いを報告する。
最近になって、遅まきながら、「沖縄の米軍基地を『本土』で引き取る! 市民からの提案」(2019年刊)を手に取った。同書によれば、「基地の本土引き取り」を主張する市民運動は2015年に大阪で始まり、福岡、長崎県上五島、新潟、首都圏、山形、兵庫、滋賀、埼玉、札幌に広がっている。それぞれ小さなグループだが、持続的に、地に足を着けた運動が展開されていることが報告されている。
普天間移転問題を考えるとき、忘れられない言葉がある。官房長官当時の菅義偉前首相が2015年、翁長雄志知事が米軍普天間飛行場の辺野古移設中止を求めた時に発した言葉だ。
「私は戦後生まれなので、そういった沖縄の置かれてきた歴史というものについてはなかなか分かりませんが」。以後、安倍政権以来、軟弱地盤の問題や沖縄の人たちの反対を押し切って、辺野古移転以外に道はないと日本政府は突き進んでいる。
確かに菅前首相は1948年生まれで、戦争体験はない。しかし政治家であれば歴史に学び、過ちを繰り返さないことを肝に銘じてことに当たる責務を担っていると、筆者は考える。ヴァィツゼッカー元ドイツ大統領は第二次世界大戦終結40年を記念した演説で、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」と述べたことで知られる。二つの発言の落差を考える時、日本の有権者の不幸を実感せざるを得ない。
「基地の本土引き取り」の運動を担う若い世代の人々は、当然ながら戦争の体験はない。長く沖縄が置かれてきた政治的環境について、現地に出向いて米軍基地の現状を学び、自分なりに考えて運動に参加してきた。
例えば「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」の女性は、那覇市で1年間過ごした経験を振り返り、運動に参加した経緯を語る。沖縄では「ナイチャー(内地人=日本人)はこわいです」と言われ、ウチナンチュー(沖縄人)という呼称との区別も知らなかった、という。「本土」に戻って大学院で学び始めて、社会学の指導教官から、自分の沖縄生活の実態が「植民地主義に基づく差別」と指摘され、ガツンと殴られたような衝撃を受けた、と吐露している。
同書にメッセージを寄せた知念ウシ・沖縄国際大学非常勤講師によれば、「県外移設」論は、1996年ごろ、当時の大田昌秀知事が日本政府などに、基地について、日本全国で「応分の負担」をするよう求めた事実にさかのぼる。また、沖縄の市民グループが日本の市民に県外移設を求め基地を引き取るよう求めたのは、98年の沖縄女性による「女たちによる東京大行動」が最初だという。
普天間基地の移転問題では、民主党政権で首相を務めた鳩山由紀夫元衆院議員が、2009年の政権交代選挙の際に、「最低でも県外移設」と発言したことが思い起こされる。民主党の公約と受け取られ、一時期、沖縄で県外移設の世論が高まったが、翌年5月の日米共同声明で「辺野古移設案」に回帰する。ドン・キホーテ的な鳩山発言では事態は動かなかった。
鹿児島県・徳之島が移転先の候補地として取りざたされたこともあったが、地元も反対し、現実味のある話にはならなかった。
復帰50年を前に共同通信が実施した全国世論調査によれば、沖縄の基地負担が「不平等」との回答は79%、米軍基地の一部を県外で引き取るべきだとの意見に対する「賛成」は58%だったが、自分の住む地域への移設には69%が反対の意向を示した。沖縄県民に限定して調査結果をみると、「基地の県外引き取り」に対する賛成は75%にのぼる。経済格差に対する認識でも、「格差があると思う」は全国調査の53%に対して県民調査では93%と大きな開きが示された。
復帰50年にあたり、玉城デニー沖縄県知事は「基地のない平和な島」の実現を日米両政府に求める建議書を発表した。この重い問いかけに「本土」はどう答えるか。
高尾義彦 (たかお・よしひこ)
1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ』を自費出版。
(日刊サン 2022.5.18)