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ニュースコラム 高尾義彦のニュースコラム

【高尾義彦のニュースコラム】賀正:新しい年に、「食」の魅力を考える

八十路へと 命永らえ 年明ける
              河彦

 新しい年、2024年の年賀状に記した俳句。俳号「河彦」は、東京・佃の住まいが隅田川沿いにあることに由来する。一日一句、ツイッター(X)で俳句をつぶやき、7年目に入る。あと1年半で80歳の大台に乗る自分の健康を考える時、「食」の重要性が最初に心に浮かぶ。80年弱の人生で、何を食べてきたのか、これからどんな美味しい食を体験できるのか。日本の食料自給率の低さを懸念しつつ振り返り、展望したい。

 第二次世界大戦が終わった1945年に生まれ、敗戦を受け入れた815日以前の6月が誕生月なので、遅生まれの同級生から「戦中派」と揶揄される。戦後の食糧難の時期に育った徳島の田舎では、我が家が小規模ながら稲作などの農業に携わっていたため、食糧難で子育てに困った話は両親から聞いたことはない。

 少年の頃、我が家は麦やサツマイモ、トウモロコシなどを育て、柿、ビワ、夏ミカン、イチジクなど果物にも不自由しなかった。竹林にはタケノコが育った。徳島の特産、和三盆の原料となるサトウキビをおやつ代わりに、カイコを育てるための桑畑にはクワの実もあった。渋柿の皮をむいて干し柿を作る作業は、祖母を手伝う秋の夜なべ仕事だった。味噌は自家製で、肉や魚以外はほぼ自給自足が基本だった。ニワトリを飼い、山羊も飼って、牛乳代わりに山羊の乳を飲んで育った。

 大晦日には年越しそばが定番だが、郷里ではソバを挽いて粉にはせず、米のように粒のままで雑炊にする「そば米雑炊」を食べていた。出汁は醤油がメインで、油揚げやニンジンを入れた雑炊は、いまも大晦日から新年にかけて、我が家の食卓に登場する。祖谷地区などソバの産地に恵まれていたことも理由のようで、長野県でも同様の食べ方をする、と後に知った。

 最初の東京五輪が開催された1964年に大学に入学した際、世田谷区の学生寮近くにはまだ田んぼが広がっていた。しかしその数年後の70年、日本政府は減反政策に舵を切り、稲の作付面積は317万ヘクタール(69年)をピークに2000年以降は170万ヘクタールに、生産量も1426万トンから2000年以降は900万トンに下落した。農業従事者及びその予備軍的人材は都市の工業地帯へと大移動が推奨され、日本の食と農の事情は大きく変わった。

 戦後、進駐していた米軍は、給食にパンとスキムミルク(脱脂粉乳)を導入し、米を主食とする日本の食生活を変えたことも大きく影響している。農地は荒れ、最近は帰郷するたびに、かつての農地が太陽光発電の黒いソーラーパネルで埋め尽くされている光景を見るにつけ、農業政策の失敗を実感する。

 日本の食料自給率は、農水省のデータだと、カロリーベースで38%(22年)しかない。1965年当時は70%を超えていたが、その後は下がる一方で、平成に入って50%を切ると、緩やかに下がってきた。海外の事情をみると、カナダ、米国、オーストラリア、フランスが100%を超える自給率を誇り、生産した豊富な農産物を輸出に回す産業構造が出来ている。日本の場合、軍事的安定を懸念する以前に、食料の輸入が止まれば国民の生存が危機にさらされる現状にもっと目を向けなければならない。

 さらに深刻なデータがある。飼料自給率が26%という危機的な低水準になり、酪農などの農家は飼料を米国などに頼らざるを得ない。海外からの輸入がストップすれば、日本人の多くは飢餓に陥る。テレビではグルメ番組が華やかに放映されているが、現実は薄氷の上を歩くようなものだ。

 海の恵みを象徴するイベントに、目黒のさんま祭りがある。毎年秋に目黒駅前など2か所で開催され、それぞれ「宮古のサンマと我が故郷のスダチ」「気仙沼のサンマと大分のカボス」の組み合わせで人気だが、ここ数年はサンマの不良で開催が危ぶまれてきた。サンマだけでなく、温暖化の影響で岩手のサケや富山・氷見の寒ブリなどの収穫量が減少し、各種の魚が北上して漁場が移動する傾向が顕著になっている。

 農産物に話を戻すと、国内産の安全性にも大きな疑問と不安が指摘されている。「日本の現在の食をめぐる状況は、まるで真冬のようなゾッとする寒さ」。民主党政権下で農水相を務めた旧知の山田正彦元衆院議員は、近著『子どもを壊す食の闇』(河出新書)で警告を発している。

 「食の闇」のひとつは、人間の身体に危害を与える農薬の存在で、日本では発がん性が指摘される除草剤などがいまだに使用を許可され大量にばらまかれている。多くの国々が使用を禁止・規制しているのに、日本では、制限すべき農薬の残留基準値を上げるなど世界の動きと逆行した農政が続く。遺伝子組み換え作物の危険性も山田さんは指摘し、有機農法などを勧める。

 ここで料亭「なだ万」で賄い食とされていたスダチご飯を紹介する。炊き立てのご飯に削った鰹節をたっぷりと乗せ、醤油をかけてスダチを絞る。さっぱりとした自然を味わえる安全な食べ物を、これからも探して食を楽しみたい。

(日刊サン 2024.1.1)

高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ』を自費出版。


 

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