ソウルで日本語教師をしていた時の話③
反日と貧困層
韓国政府が執拗に打ち出している「反日」は、国民の政権への不満や不信を逸らすためのスケープゴートと言われている。韓国は日本と同様の先進国であるということを強調しようとしているが、実はあたかも小さな中国のように厳然とした経済格差がある。特に老人の貧困率が高く、OECD(経済協力開発機構)2015年の65歳以上の貧困率は、日本は19.4%であるのに対して、韓国は49.6%にも及ぶ。主な原因として、韓国の年金制度が未だ整備されていないことが挙げられている。貧困層の老人や障害者たちは、ソウルだと九龍村のようなスラム街に住む。彼らのような人々のスケープゴートにされる反日運動は、韓国内の貧困問題と間接的だが深い関わりがある。釜山にあるタルトンネというスラム街では、日本人の墓の墓石が家の土台や階段として使用されていたりする。彼らにとっての日本人は、死んでなお踏みつけられる存在でなくてはならない。
親日派はヒエラルキーの頂点付近にいる
一方、影のあるところには光があるということで、韓国には親日派もわりといる。大きく分けて2種類の親日派がいて、反日に反発する親日と反日を気にしない親日がいる。また、私がソウルに在住していた4年半で出会った親日派は、経済的に余裕があるか、それに加えてインテリかのどちらか。過酷な韓国社会が形成するヒエラルキーの頂点付近にいる人々だった。生活に余裕があり、高い教育を受けて考えることを身に付けた人々は反日運動の正体を知っている。『「反日」異常事態』などの著書があるシンシアリーさんなどがよい例だと思う。シンシアリーさんの本業は歯科医で、日本で数々のベストセラーを出しているにも関わらず本名も顔も出していない。
自作の旭日旗を飾っていた韓国人医師
反日のテーマは、歴史問題はもちろん、竹島問題、徴用工問題、旭日旗など、枚挙にいとまがない。しかし私は、在韓中に「大学の寮の部屋に旭日旗を飾っていた」という韓国人の医師に会ったことがある。1970年生まれの彼の父親は、彼が子供の頃に出張でよく日本へ行っていたという。当時、表向きは日本の文化に触れることが禁じられていたものの、彼は父親が事実上密輸した日本のレコードや絵本に親しんでいた。高校生の頃、父親が買ってきた日本の雑誌をめくっていたら、記事の内容はよく分からなかったが、旭日旗の写真が出てきた。旭日旗は歴史の教科書か何かでちらっと見たことがあったが、その雑誌の写真を目にした時、赤い太陽が放射線を描くグラフィカルなデザインが気に入った。そこで、大きな白い紙と赤い絵の具を買ってきて、自分で旭日旗を描いてみた。中々いい出来だし、やはりこの柄は自分好みだと思った。高校を卒業後、実家から大学の寮に移ることになったが、引っ越しの荷物の中に自作の旭日旗も入れた。そして寮の自室にそれを飾り、退寮するまでの数年間、そのままにしていたという。何人かの同級生は「これは、さすがにまずいんじゃないの」と言ったが、そのうち誰も気にしなくなったという。彼は反日運動への反発心を多少なりとも持っていた。しかし、別のところで自然に日本に親しんでいた。日本語教師として在住していたからということもあるが、彼のように単なる日本への親しみや興味で親日派となる人々も多くいると感じた。
次回は、私が日本語教師として勤めていたソウルの外国語学校で出会った、奇妙な人々や衝撃的な出来事についてご紹介したい。
④につづく
楽園綺譚