日本の岸田文雄首相に、格別の恨みはありませんが、厳しいことを言います。この人には、政治家としての不動の信念が感じられません。ふわふわと気流に乗るだけの、「浮世離れ」した印象がつきまとうのです。
岸田内閣の支持率下落が止まりません。朝日新聞の直近の世論調査では支持率は37%で、前回6月調査の42%から下落しました。おおむね30%台で推移していた自民党支持率も28%に減り、無党派層が51%に増えました。ほかのメディアもほぼ同様の傾向を伝えています。
マイナンバー制度をめぐる相次ぐトラブルや、鳴り物入りの少子化対策が「絵にかいた餅(もち)」に終わろうとしていることに、国民がうんざりしていることが支持率低下の直接の原因でしょう。この秋にも衆院解散・総選挙が行われる見通しです。互いの足の引っ張り合いに忙しい無力な野党にも助けられて、それでも総選挙は案外しぶとくしのぎ、「与党安定多数を確保」といった見出しが新聞に踊るのでしょうか。
英語に「ダチョウは頭隠して尻隠さず」(He is hiding his head like an ostrich.)という表現がありますね。危機は目前に迫るのに、それを見たくないために頭を土の中に隠して目をふさぐ、という意味でしょうか。岸田政権は「やっている感」ばかりで危機に正面から向き合おうとしない。失礼ながら、ダチョウ化政権です。
では、何が、いちばんの危機なのか。わたしは目指すべき「くにのかたち」がいっこうに見えないことだと思います。
政治がなによりも取り組むべきは、国の借金である債務残高が1240兆円、対GDP比で262%と天文学的な数字に達している問題をどうするのか。国家支出の3分の1は、年金、介護、医療など社会保障関係費が占め、これに国債の利払い費が続き、このふたつで歳出の半分以上を占めています。
ふつうなら、借金を返せない「デフォルト」国家として、とっくに財政が破たんするはず。そうならないのは、国債の96%が日銀も含めて日本人の手によって保有され、海外のハゲタカファンドにつけ込まれにくいこと、そして消費税率が10%と欧米先進国のレベルより低く、まだ引き上げる余地がある、とみられているからでしょう。
すっかり聞かれなくなった財政用語に「国民負担率」があります。国民所得に占める租税と社会保険料の割合を示すのですが、「高負担・高福祉」をうたうフランスは67.1%、「低負担・低福祉」の米国は32.4%、日本はその中間あたりに位置しています。凄まじいスピードで少子高齢化が進む日本では、どのあたりの国民負担率を定めるべきなのか。弱者切り捨てがない「社会保障のスリム化」をどう実現するか。そのあたりの骨太な議論こそ必要なのに、国会の議論は沈黙しています。
選挙が近づいてくると、与野党とも増税の議論には及び腰になります。防衛費の大幅増をまかなうため、与党内では法人税、所得税、たばこ税の引き上げが浮上していましたが、結局、2025年度以降に先送りされる雲行きです。
その一方で、政府税調では、サラリーマンの通勤手当や社宅の貸与までが課税対象とすることが検討されるなど、サラミを薄く切るような「サラミ増税」が浮上している由。消費税増税ができる環境ではないから「取れるところから薄く取る」という話。いじましいなあ。「国家百年の大計」に殉(じゅん)じる気概を、当節の政治家や役人に求めるのは、ないものねだりでしょうか。
バブル経済がはじけた1990年代から、ほぼ30年にわたり日本人の実質賃金の平均は「400万円台」から変わっていません。賃金水準が低く抑えられる企業の非正規雇用者の割合は4割に達しています。
日本の時間当たりの生産力(労働生産性)は49.5ドルで、OECD加盟38か国のうちで23位に沈んでいます。いまや米国の6割程度。「日本発」のイノベーションはとんと聞かなくなりました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされた時代は遠くなりにけり。
夢ばかり語る政治家にろくな者はいません。政治家は明確なビジョンを示してほしい。ダチョウ化する国、信が置けない国のもとで、若者たちはパートナーを得て、家族を持とうと思うでしょうか。これでは、若者の無婚化、晩婚化、そして子どもの出生率低下に歯止めがかかるわけはありません。
(日刊サン 2023.7.28)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。