横浜の緑濃い片田舎に住んでいると、東京の都心への足が遠のきます。歳のせいだけではありません。鉄とガラスと強化プラスチックの無機質な超高層ビルが立ち並んで、人を威圧するような巨大都市の風景や、往来の喧騒(けんそう)が、神経をくたびれさせてしまうのでしょうか。
関東大震災や大空襲に見舞われ、灰の中から不死鳥のように蘇ったトウキョウという町の生理なのかもしれません。中世のたたずまいを残すヨーロッパの都市や、第二次世界大戦前に建ったアパート(わたしも、かつて住んでいました)にプレミアの価値がつくニューヨークなどとは違って、10年もたてば、街の顔は一変。いまや若者のメッカと化した渋谷など、わたしのようなジイサンには行き場もなく、大げさではなく、まるで別の惑星みたいなものです。
その中で、かすかに心和(なご)むのは、下町の江戸の名残りや、明治、大正、昭和の時代に建てられた風情のある民家や老舗(しにせ)、石造りの品格のある歴史的建造物に出会うときです。懐古趣味と言われれば返す言葉はありませんが、無性に惹(ひ)かれるのは、遠く過ぎし日の面影(おもかげ)です。
昨年末に92歳で亡くなった日本近代史家・作家の渡辺京二さんの、名著の呼び声高い『逝(ゆ)きし世の面影』を久々に取り出して、ページをめくりました。幕末維新に訪日した外国人の滞在日記などを手かがりに、その後の急速な西洋化、近代化によって無残に打ち捨てられた美しい日本の風景や、車夫や茶屋の女、赤ん坊を背中にくくりつけた子どもなど、市井(しせい)の人々の暮らしや風俗を、愛惜(あいせき)の思いを込めて綴りました。
渡辺さんは1960年代から、水俣病をテーマにした『苦海浄土』の作者で熊本在住の故石牟礼道子さんを身近なところで支え続けました。チッソ株主総会での抗議行動にも出向きます。地方にどっしりと腰を据え、近代市民社会と科学文明の罪を告発し続けた第一級の知識人だったと思います。講演で「人間は土地に結びついている。土地に印をつけて生きている存在である。死んだ人間の想(おも)いとつながっている」と語ってもいます。
ほんものの智者、賢者は地方にこそあり。これは、わたしが観察で得た、いまや揺るぎない信念です。
土着の思想家と言えば、まず思い浮かべるのは、黒潮洗う紀州・熊野が生んだ「知の巨人」南方熊楠(1867―1941)です。植物学者・生物学者として粘菌(ねんきん)やシダ、コケ類の研究などで知られますが、米国や英国への遊学から帰国した後は、現在の和歌山県田辺市から居を移すことなく、生涯定職に就かず、在野の研究者として一生を終えます。
その博覧強記ぶりと、10数か国語を理解する語学力、隠花植物や昆虫などの膨大な標本の収集は、ちょっと想像を絶するレベル。大酒飲みで、癇癪(かんしゃく)持ち。無類のネコ好き。奇行伝説はとどまること知らず。専門の学問の境をひょいと乗り超えて、宇宙や地球、すべてのイキモノを視野におさめる、自在なマンダラ世界を構想した破格のスケールの人物が、この極東の島国の、そのまたちっぽけな鄙の地から出たことは、奇跡というほかはありません。
田辺湾の神島の自然保護運動にも取り組み、エコロジー運動の先駆けになりました。1929年に神島を訪れた昭和天皇は、お召し艦・戦艦長門の艦上で熊楠の進講を受けましたが、その33年後、「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」の歌を詠んで懐かしんでいます。
南の知の巨人が熊楠なら、江戸時代中期の秋田藩に生まれた思想家・安藤昌益(1703-1762)は、北の知の巨人と呼ぶべきでしょうか。
身分制の封建社会を徹底して批判して、額に汗して田畑を耕す「直耕」(ちょくこう)を重んじる独特の考えをもとに、農業中心の無階級社会を説いた、時代を超えた規格外の思想家です。主著の『自然真営道』では、徳川幕藩体制の頂点に立つ武士にとどまらず、古代の聖人のブッダも孔子も、不労所得を得る口舌の輩(やから)と、ばっさばっさとなで斬り。「自然に還れ」と説いた、ほぼ同時代の革命思想家ジャン・ジャック・ルソーをしのばせる記述もあります。
昌益の名を世に知らしめたのは、カナダの外交官ハーバート・ノーマンによる1950年の『忘れられた思想家』という著作によってでした。
なんだか、まずいなあ。年ふるにつれ、辺境の地にあって独自の境地を開いた「危険な臭いがする」人物にしか関心がわかなくなった気がします。
(日刊サン 2023.2.10)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。