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コラム とどけMahalo! アメリカ本土便り

ウイスコンシンで独り言  日系人の恩返し

 「百姓殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい」などと言われることがありますが、農業は今も昔も天候に左右されて、安定収入を得るのに苦労の多い職業と思われます。その昔、1900年初頭に日本の移民はアメリカやカナダ、南米などに移住し、荒地を開墾してこうした天候などでいろいろ苦労されたものと思われます。

日系農民の悩み
 アメリカへ移住した日系の農家は天候や荒れ地との格闘の他には、現地の人達の偏見や差別に悩まされました。それがやがて1921年のアジア系移民への「借地禁止法」の成立で土地の借用が難しくなります。土地がなければ生活がなりたちません。その時、この法律により耕す農地が借りられなくなり困った日系人に救いの手を差し出した人たちがいました。それは白人政府に多くの土地を奪い取られてしまっていたワシントン州のワパトという所の原住民居留地区の人達でした。米国政府や現地の人の日系人への妨害は借地禁止法のほか、放火や爆弾を投げ込むような暴力的な行為もありましたが、そうした脅しや嫌がらせに同じ痛みを持つ原住民の人達が日系人に同情したのでしょうか?

収容所生活からワパトへ帰還
 そうした排斥運動も1941年の真珠湾攻撃で最高潮となり、やがてワシントン州ワパトに住む日系人はワイオミングのハートマウンテン収容所に送られ、農地や財産は没収されてしまいました。そして二年後、第二次世界大戦後に日系人は収容所から解放されましたが、ワシントン州のワパトへ戻る日系人は少なかったようです。それでも何人かの人達がワパトへ戻りましたが、以前自分達が住んだ場所は所有者が代わり、あちこちには「ジャップは去れ」の張り出しがありました。

 そんな中、救いの手を伸ばしたのはまたしてもインデアン居留地のヤカマ族の人達。彼らは日系人に自分達の土地を分け与えたのです。そうして日系人はまた農業を始めることができ、やがて農場経営を営みました。

 最近日系三世のロン稲葉氏(67歳)は後継者がいないこともあり農業を廃業することを決心しましたが、母親のしずさんが原住民の人のかっての援助、特に戦後ワパトへ文無しで戻った時のワパト族の人達の恩義を忘れてはいけないと話しました。

 稲葉氏が所有する1600エーカーの土地を売却して巨額の利益を得ることもできましたが、あえて稲葉氏はヤカマ族に数年の交渉で1200万ドルで売却することとなりました。ただ、ヤカマ族の人達は漁業が主で農業にはなれていません。それで今後二年ほど稲葉氏がヤカマ族の人達に農業技術の指導をすることとなりました。稲葉氏とすれば、ヤカマ族に土地を安価で売却し、農業指導をすることで過去百年ほど日系社会を救ったこの人達へ恩返しをしたことになります。

 このニューヨークタイムズの記事は稲葉氏の「我々の75年間にわたる辛苦に比べれば、原住民の方々には600年にもわたる虐げられた年月がある」の言葉で結ばれています。

とどけMahalo! アメリカ本土便り No.167

大井貞二(おおいさだじ)

1988年にハワイに移住。地元の私立校で日本語を教える。その後、ハワイ大学大学院を経て、ハワイパシフック大学(HPU)にて世界中からやってくる学生に日本語を教え、最近退職。現在アメリカ本土に居住。

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