テキサスからウイスコンシンへ帰る途中、アーカンソーのリットルロックに立ち寄りました。
まずはこの写真をご覧ください。黒人の女学生の右側では白人女性が敵意に満ちた目付きでにらんでいます。その女学生の後方では若い白人が何やら叫んでいます。どうやら住民がこの女学生を取り囲んでいるようで、その後方には兵隊さんまでいます。
これはアーカンソーのリットルロックで1957年9月の高校で最初の登校日の様子です。白人の学校に9人の黒人学生が入学しようとしたのです。それを町中の人と警官が阻止しようとしているのです。その物々しさが全米にテレビで放映され、結局当時の大統領が連邦軍を派遣してこの黒人学生達を守りました。
それにしてもどうしてそんな町中上げて反対しているのにこの黒人学生達はその白人校へ入学したかったのでしょうか? それは、もしあなたが医学、薬学、建築などを勉強したい場合、大学進学可能な高校を選びますね。まして、自分の家のそばに設備の整った立派な学校があればどうしてわざわざ遠くにある設備の悪い職業校へ行くでしょうか? 諦めれば自分の将来の夢は絶たれるのです。
それでこの年も何人もの黒人生徒がこの高校へ応募しました。学校側はいろいろ入学基準を厳しくしましたが、成績優秀でどうしても排除できない学生が出ました。それで、小中校で「無遅刻、無欠席」!、すべての教科ですべてA!などの条件を付けましたが、それでも通過してしまう学生が出てしまいました。それで、学校や町ではその学生の両親へ恐喝などをしましたが、最終的には9人の学生は音を上げませんでした。それが伝説となる「リットルロックナイン」と呼ばれる人達です。
9月の最初の登校日には生徒や町民の実力行使に遭います。この日のためにそろえた服は引き裂かれたり、つばをかけられたりしたそうです。幸い連邦軍の助けもあり無事登校ができました。
ただ、これで問題が終わったわけでなく、それ以後、この9人の座席はなんと廊下に置かれ、教師や同級生からは無視されました。それだけではなく、体操の授業などでは着替え室で電灯を切られて、真っ暗な中で陰湿ないじめがおこなわれたと言われています。廊下を歩く時にはいろんないたずらをされたようです。ま学校行事への参加は一切できず、クラブ活動も許されませんでした。ただ、そうした無視、いじめに参加しない人もいたようですが、そうした人達は居場所がなくなったようです。
私は今では国の歴史建造物にされたこの高校を訪れ、そうした話を聞いて、身震いしました。ただ最後にこの9人が無事卒業し、その後の人生で成功されたことを付記しておきます。
とどけMahalo! アメリカ本土便り No.129
大井貞二(おおいさだじ)
1988年にハワイに移住。地元の私立校で日本語を教える。その後、ハワイ大学大学院を経て、ハワイパシフック大学(HPU)にて世界中からやってくる学生に日本語を教え、最近退職。現在アメリカ本土に居住。
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