バス停での小さな出来事
ワイキキに滞在中のある日、バス停に行くと路上生活者と思われる人が何か食べていました。そして食事を終えるや否や、通行人に「1ドル恵んで」と言い始めたのです。最初に通りがかった青年はすぐに反応して立ち止まってからお金を差し出しました。そしてそのあとに通った人にもおねだりすると、その青年は一旦通り過ぎたのですが、また戻ってきてお金を手渡しました。
この間わずか数秒で、この路上生活の人は立て続けにお金を手に入れたのです。もちろんこんなことは稀なのかもしれませんが、この世の中には結構優しい人がいるんだって驚きました。
また、ある日アラモアナショッピングセンター山側でバスを待っていると、そのバス停を住みかとしている女性がいました。その女性はバス停のイスに腰かけて、頭を深く垂れてあたかも寝ているようでした。
その前を年配の男性がおぼつかない足取りでふらふら、よたよた歩いてやって来ました。そしてその男性が突然その路上生活者と思われる女性の前で立ち止まって、その女性をちょっと見つめると、素早くポケットから札束を差し出し、何も言わずに20ドル札をその女性に手渡そうとしました。寝ていたと思われたその女性はそのお金を目の前に差し出されると何も言わず、黙ってその札をつかみ取って、自分のカバンの中に押し込みました。これも時間にして数秒の出来事でしたが、このよたよた歩いていた男性は何って気前がいいんだって思いました。
その20ドル札を上げた男性はちょっと弱々しく、病み上がりのような感じを与える男性でしたが、頼まれてもいないお金をさっと差し出したこの男性は、優しい人だったのだろうと思います。そんな風に優しくなれたのは、この人自身に何か悩みか体に痛みなどあって、人の痛みが分かるのでは、と想像しました。
またある時、バス停でバスを待っていると、ある路上生活者と思われる人がゴミかごから食べ物をあさっていました。その時、自転車で通りかかった人が急に止まり、ゴミをあさっていた人の名前を呼び、「俺、仕事みつかったよ! 明日から働くんだ」と嬉しそうに言いました。そうすると、ゴミあさりをしていた人が姿勢を正して、嬉しそうにうなづいて、お札をポケットから取り出し、その自転車乗りの人にあげたのです。その光景を見て、最初は何が起こったかよくわかりませんでした。
バスに乗ってからしばらくして、少し状況が分かってきました。その自転車に乗っていた人も多分、路上生活者だったのでしょう。でも仕事が見つかり、収入の道ができたのです。ゴミをあさっていた人はそれを聞いて嬉しく思い、祝福の意味でお金を上げたのでしょう。
この世の中には人の痛みのわかる優しい人がいます。バス停で見かけたこんな小さな出来事から、この世の中には優しい人がいるのだな、と嬉しくなりました。
とどけMahalo! アメリカ本土便り No.152
大井貞二(おおいさだじ)
1988年にハワイに移住。地元の私立校で日本語を教える。その後、ハワイ大学大学院を経て、ハワイパシフック大学(HPU)にて世界中からやってくる学生に日本語を教え、最近退職。現在アメリカ本土に居住。
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