天職 Part2
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米。悲願のMBAを取得し日本に凱旋帰国したが、父の死と前後して勤務先であるメガバンクを辞める意思を固めた。
2005年冬のある日。私は渋谷にあるベンチャー企業の入社面接に来ていた。それまでベンチャー企業というのは未知の世界であり、メディアの影響か若い社長がジーンズを履いていて若くて活気ある社員が多くいる、そんなイメージばかりが先行していた。そのような中、大企業にいても不思議ではないようなきちんとした身なりの中年男性が私を呼びに来た。この会社の人事部長だった。カジュアルな人が来るとばかり思っていたところ、この方を見て大いに安心し面接会場に歩を進めた。
損保会社時代の同僚たちが時の経過と共に不遇な立場に追いやられている現実から、会社を破たんさせることを防ぐことを自分の使命としようと思うようになった。その結果辿り着いたのが、経営企画職への転身だった。ただ、転職活動で直面した現実は厳しいものだった。まず、そもそもの求人数が少ない。その少ない求人に対して経営企画経験者から優先的に紹介されていく。つまり、経営企画未経験の私にとっては非常に狭き門である。ちょうど2年前にボストンで行っていた就職活動とは打って変わっての大苦戦である。そのような時、ある転職エージェントが私に、「“ベンチャー企業”って関心あります?」と恐る恐る訪ねてきた。気遣いある問いかけは、金融一筋の私に対する彼なりの最大級の配慮だったのであろう。
紹介されたのは、大手メーカーの社内ベンチャー制度で“IT時代の町の電気屋さん”をコンセプトに誕生した会社。今や業態は変わりつつも業績を大きく伸ばし、株式公開なども視野に入れ社内体制を整備しているという。“実務を通して多くの経営企画業務を経験できそうだ”というのが私の第一印象であり、あまり会社を選んでいられる状況でもなかった、というのがこの会社に応募した実情であった。
面接官は4名。入社したら直属の上司になると思われる経営企画担当の常務、営業担当の専務、事業企画の部長、そして先ほどの人事部長であった。役職の割には皆40代半ばだが、きちんとした身なりで一般の人が持つベンチャーのイメージとはほど遠い。しかし、話してみると個性豊かで、面接中、良いも悪いも色々な気持ちが入り交ざったのが実際のところだった。
一番驚いたのが面接終了後だ。面接に立ち会った全員が、私を会社の玄関どころかエレベータの入り口までエスコートしエレベータのドアが閉まるまで見送ってくれた。今まで普通の人の何倍も就職面接を受けてきているが、このような応対は初であった。
この会社に対する関心が高まりつつあった。
(次回につづく)
No. 173 第3章 「再挑戦」
Masafumi Kokubo
ミネソタ州ウィノナ在住。1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在は全米最大の鎖製造会社の副社長を務める。趣味はサーフィンとラクロス。
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