新生ISP社始動
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、経営企画マンとしてのキャリアを積むため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。入社から1年半後、子会社であるISP社の立て直しのため転籍、副社長に就任した。
2008年4月1日。新宿住友三角ビルの大会議室。新生ISP社の門出式が行われていた。目を見張るのはその参列者の数。親会社からの来客も多少は含まれているものの、その数150人に迫る。半年前にまだパートナー企業の片隅を間借りしていた同社の扉をノックした際は、アルバイトも含め10人程度の所帯であった。そこから半年で10倍以上の規模にしたのは前回寄稿した通りである。
ISP社はグループの中核マーケティング会社として生まれ変わる。そのために、経営は必要な投資などを一気に行う“垂直立上げ”を行う意思決定を行った。そして莫大な投資を集中的に行い、最新鋭のコールセンターを新宿住友三角ビルに構築、大量の人材採用を行ったのであった。
社長と私は今回の会社の大転換を“第二の創業”と位置付けた。社名も創業時からのISP社からQAM(QAマーケティング)社に変更した。これは親会社であるQAC社とマーケティング会社というカラーを前面に打ち出していくためだった。そして、社名変更と共に企業理念も新たに制定、この式典で社長から丁寧に説明されたのであった。
門出式は、今回新たに加わることとなった新入社員の入社式でもあった。その新入社員の名を副社長であり人事責任者でもある私が一人づつ読み上げる。呼ばれた者は登壇、そこで社長から辞令を渡される。全員私が直接面接し、納得して採用したメンバーだ。一人一人の採用にそれぞれのドラマがあった。何としてでもうちの会社に来てもらいたい、と思う者もいた。そういうメンバーに対しては時間をかけて話し合い、当人もしっかり納得したうえで入社してもらった。名前を呼ぶ度、ひとつひとつのオリジナルストーリーが思い返された。
その日の晩は大宴会となった。わが社グループは宴会好きであったのだが、それを地で行くような宴会となった。この宴会文化は元をただせば、M&Aで傘下に入ったISP社が持ち込んだものだった。営業職の強いISP社が、わが社グループに多様性を持ち込んだ。そして今、今日付けで入社した多くの希望に溢れる者たちが、この多様性を更に豊かなものにしていくだろう。既に新旧メンバー入り乱れて、盃を交わしながら打ち解けている光景を眺めながら、そう確信した。
こうして新生ISP社、改めQAM社の第一日目は更けていったのである。
(次回につづく)
No. 196 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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