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【My Destination】第3章 「再挑戦」晴天の霹靂
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、急きょ会社が経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。子会社での副社長経験を挟みつつ、経営企画業務全体を取り仕切る毎日。そのような中、「三度目の正直」となるIPO申請が迫りつつあった。
2011年2月下旬に東京証券取引所(以下、「東証」)に株式上場申請を行ってそれが正式に受理されたことに伴い、東証による上場審査が開始された。その内容は、それまでの幹事証券会社の上場審査で対応してきたことと類似していたが、失敗が許されない、という点が今まで以上に関係者の神経を尖らせた。そのため一つ一つの質問や確認事項に対して、抜け漏れが無いよう丁寧な対応を時間をかけて幹事証券会社と共に行っていた。審査は手間はかかったものの順調に進み、ようやく上場という出口も見えてきそうな中、「その時」を迎えることとなった。
その日はいつも通り、東証から尋ねられている事項に対して最適な回答をすべく、証券会社の担当者と共に作戦を練っていた。ひと段落する頃はだいたい13時を大きく回っているのが常で、その日も遅い昼食を取り食後の一服を会社の屋外にある喫煙所で満喫していた。その時のことだった。
突如、かつて経験したことのない大きな揺れを感じた。建物の中ではなく地上に居たのにである。周りに目をやると、建物のガラスが凹と凸を繰り返すようにぐにゃぐにゃと動いている。同じ喫煙所に総務部の若手がいたのだが、その者に対して「直ぐにオフィスに戻りなさい」と言いつつ、私は一番近くの公道に出た。ちょうど1台のタクシーが私の目の前で停まると、運転手が窓から顔を出し「仙台!」と叫んだ。それを聞いた私はまっしぐらにオフィスに向かって駆け出した。2011年3月11日14時50分あたりのことだった。
オフィスに戻った私は、1時間前と大きく変わり果てたその姿に呆然とした。あちこちから「ダメです。つながりません」という声があがっている。皆、仙台のオペレーションセンターに連絡を取ろうとしていた。渋谷で産声を上げたこの会社は、私が入社した時からその規模は3倍近くに膨れ上がった。その増加分のほとんどを吸収したのが仙台であり、今や仙台は社員在籍数でも渋谷の4倍近くを抱える最重要拠点となっていた。
その日は、それ以降当然ほぼ仕事にならず、まず従業員の安全確保を第一としつながら、帰宅できる者から帰宅することとなった。私も部下の帰宅などを確認し、夜遅くに帰路に就いた。山手線はまだ運転再開しておらず、徒歩で明治通りを北に向かった。まだ被害の全容を全く把握できていなかったが、あの揺れと今も続く余震を鑑みるに相当の規模の震災であることには違いないと悟った。途中、路面に面する大画面で三陸海岸の津波の模様が繰り返し流されていた。かつてない天変地異の真っただ中にいることを再度確認していた。
(次回につづく)
No. 218 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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