再挑戦
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米。ついに悲願のMBAを取得し、日本に凱旋帰国した。
2004年6月1日朝。同日付でメガバンクの本店調査役となった私は、入行時研修のため、東京神田にある同行の研修施設に向かっていた。この日のためにアメリカでしつらえたブルックスブラザーズのスーツに身を包んだものの、約3年間に渡る米国でのノンスーツ生活がすっかり板についてしまい、着心地に違和感がある。加えて、こちらも3年振りとなる通勤電車の不快さに、何度も自分の記憶を疑ったほどである。
思えばちょうど10年前の今頃は大学4年生で、就職活動の一番の佳境に入っていた。それから10年後にメガバンクのバンカーになるとは、当時は全く想像していなかった。この10年間は色々と目標を達成してきたものの、その目標自体は大いに変遷してきた。幼いころから漠然と「世界を股にかけて働く」という夢を持ち続けて臨んだ就職活動。志望企業からの内定で一旦はその夢に近づいたかに思えたが、私に降りかかってきたのは内定取消の四文字であった。
就職活動は夢という観点からは思わぬ結果となったが、L.A.に住む叔父からの「アメリカで一緒にビジネスをしよう」というオファーが下支えとなって夢自体は継続した。しかしその夢は叔父の急死により行く場を失ってしまう。その様な中、仕事に生き甲斐を見出し、勤務先である保険会社の成長そのものが目標となった。しかし、その目標は会社の経営破たんと共に音を立てて崩れ去った。呆然自失となった私を再び奮い立たせたのは、米国大学院でのMBA取得という目標であった。
MBA時の大きな成果のひとつに二度目の挑戦となった就職活動がある。この成功はその後の人生を方向付けただけでなく、最初の就職活動の失敗で抱くようになり、その後もくすぶり続けた劣等感や日本の社会に対しての不信感というトラウマを払しょくしたのだった。
話をMBAに戻す。取得してみて改めて分かったが、MBAは目標ではなくただのプロセスであった。プロセスというからには「次」がある。その次こそが、もうすぐ始まるバンカー生活なのだ。
私の人生において茨の道は実はここからなのだが、帰国して数日ということもあり、この時点の私はメガバンクという新天地と日本社会に過度な期待を抱いていた。バブルの崩壊から十数年経ち、負け犬根性が染みついた社会になりつつあったということを知るのはまだ先のことであるし、生来の夢、つまり「世界を股にかけて働く」ということを忘れている事実に気付くのは、ここからさらに10年を要する。
(次回につづく)
No. 161 第3章 「再挑戦」
Masafumi Kokubo
ミネソタ州ウィノナ在住。1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在は全米最大の鎖製造会社の副社長を務める。趣味はサーフィンとラクロス。