(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活も束の間、会社が経営破たん。その後の人生を切り開くため渡米しMBAを取得。帰国後、メガバンク、ベンチャー勤務を経て、夢の実現のためグローバル企業で働くこととなった。
2014年6月。私はミネソタ州にある全米最大のチェーン製造会社を訪れていた。目的はこの会社の買収。通された会議室は、先方の経営陣と日本から来た我々が対峙し、買収交渉前の高い緊張感に包まれていた。お互いの自己紹介が始まり、しばらくして私の番が来た。私は“I got my master degree from an Iowan college”と付け加えた。その時、先方の初老の社長が、“Drake?”と手短に聞いてきた。Yesと即答すると、彼は険しい顔をほころばせて“私の娘も通っていたよ”と言った。それを聞き、「勝負あったな」と内心思った。この会社、すなわちP社の買収が成立したのは、2か月後のことであった。
それからしばらくして、私にP社の副社長として赴任する話が持ち上がった。買収から2年経ったが統合作業が大幅に遅延しており、そのテコ入れ役に私に白羽の矢が立ったのだ。様々な情報を収集するに、ITや人事制度などハード面の統合を半ば強引に進めてきたが、人心というソフト面がおざなりにされている。私のそれまでの経験から言うと、統合において一番大切なのはとにかく人心。だから、私がこのオファーを受けるとなると、言語も文化も違う中、人心に踏み込まざるを得ない。非常に困難ではあるが、人生をかけて挑戦する価値は大いにある。数日後、私の就労ビザの手続きが開始された。
着任後、遠回りかもしれないが、まずは私という人間を理解してもらうことに専念した。そして、それは同時に彼らを私が理解することでもあった。その上で、我々のやり方の背景にある価値観や企業理念を丁寧に説明して回った。最初は全く相手にされず、思うように事は運ばなかった。しかし、粘り強くP社のメンバーと対話を重ねたことで、時間と共に理解を示してくれる者が徐々に増えてきた。
P社への着任から2年経った2019年3月。米州に点在する子会社の合同取締役会がサンディエゴで開かれた。その場には、日本から本社の社長も来ていた。2日間の全日程を終えた時、私を含むP社の役員に社長から声がかかった。社長は一人一人に手を差し伸べながら、「あなた達は名実ともに我々のファミリーになってくれた。ありがとう。」と流暢な英語で言うと、続けて「小久保君。よく頑張ったな」と日本語で加えた。
翌日。私とP社の社長はロス・アンゼルス国際空港のバーにいた。前日に本社の社長から褒められたことがとても嬉しく、ザ・マッカランのストレートで何回も祝杯を挙げた。幼少から抱いてきた夢は、ほぼ実現したと言って過言ではない。ほろ酔いの中、ここまで私を成長させてくれた恩人たち、すなわち実の父、LAの叔父、最初の上司である“鬼のジン”など、一人一人の顔が浮かんでいた。
(次回につづく)
No. 254 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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