(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活も束の間、会社が経営破たん。その後の人生を切り開くため渡米しMBAを取得。メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。それから7年後、「幼少からの夢」を追いかけることを決意。2013年6月、遂に理想とするグローバル企業で働くこととなった。
前回は、私が転職先としてこのグローバル企業を選ぶきっかけとなったN氏の海外赴任の話を紹介し、その壮行会の描写で締めくくった。実は前回書ききれなかった別のストーリーがそのシーンから派生していた。
N氏を送り出す輪の中に、N氏の後任(即ちその翌日から私の上司)となる部長がいた。この方(以降、S氏と呼ぶ)は私よりいくつか年上で、外語大から大手自動車メーカーに新卒で入社。その後数社を経て数年前に当社に中途入社した人だった。
S氏に限らず、このグローバル企業は中途採用に積極的であった。当時、創業80年を迎えた老舗企業であったのだが、そのような会社にしては珍しく、斬新な考えを持っていた。特に今の社長になってから強力に進めているグローバル化については、海外ビジネス経験者、外国人あるいは外国語に長けている者などを積極的に募っていた。私の所属する経営企画部に至っては、在籍7名のうち6名が中途採用、残りの1名はベトナム人であった(どうやら、私もグローバル人材の端くれとして採用に至った模様である)。
さて本題に戻る。2013年10月1日付で経営企画グループのマネージャーに昇格し、上場企業の経営企画の管理職として、不慣れな業務に追われていた。加えて、上司のS氏は経営企画業務に明るくなく、多くの業務を私が行わざるを得なかった。私の部隊には部下が2名いたものの、彼らは法務と内部統制のエキスパートで、“ザ・経営企画”の業務は分からなかった。さすがの私も手一杯となり、S氏に状況改善の相談をした。
S氏からは想定外の回答が来た。「誰か知り合いとかで手伝ってくれる人いないの?」
真っ先に頭に浮かんだ人物がいた。前職の私の片腕だった女性だ。過去寄稿したが、前職におけるIPO(株式上場)チャレンジが、幹事証券会社の不祥事によって中止に追い込まれた際に、彼女はいわゆる“燃え尽き症候群”となって会社を去っていった。その後、年に数回程度連絡を取り合っていたが、時間の経過と共にその頻度は減っていった。
彼女のことだ。きっとどこかでバリバリ仕事しているだろう。“ダメもと”で彼女の携帯に電話した。懐かしい明るい声が出てしばらく雑談した。そして本丸である仕事のオファーを伝えたところ、「考えてみます」という回答が来た。この“考えてみます”は、決してマイナスの意味ではない。
この意外とも取れる彼女の反応から話は急展開していくことになるのだが、それは次回に紹介することとしたい。
(次回につづく)
No. 252 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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