(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活も束の間、会社が経営破たん。その後の人生を切り開くため渡米しMBAを取得。メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。それから7年後、「幼少からの夢」を追いかけることを決意。2013年6月、遂に理想とするグローバル企業で働くこととなった。
2013年6月下旬のある日、上司のN氏から会議室に呼ばれた。そこでN氏は開口一番、「実は7月1日付でもう一名入社する人がいます。彼は広報とIR(Investor Relations=上場企業における投資家対応)のプロ中のプロで、小久保さん同様将来の管理職候補です。」と言った。
N氏は続けて、「実はIRを強化したくて中途採用をかけていたんだ。そこでこの方にオファーを出すことになったんだけど、その面接に小久保さんも来たでしょ。小久保さんは経営企画の本流の仕事を任せられると思って、無理を承知で社長に直訴したところ、社長は役員会に諮ってくれて、晴れて二名採用出来ることとなったんだよ」と、私の採用に至る経緯も初めて教えてくれた。ラッキーだったとしか言いようがない。
そして7月1日となり、この方が入社してきた。彼は独特な感性を持ったユニークな人間で、その感性を駆使して業務を遂行する人であった。ひょうひょうとした見た目と態度、感性をストレートに表現する言動などから変人のように見られることが多いのだが、それは自分の業務に対するプロ意識の表れでもあって、さらにその実、驚くほどの常識人でもあった。加えて、奇遇にも銀行とベンチャーの両方の勤務経験というバックグランドも持ち合わせており、多くの経験や価値観を共有することが出来たので、我々はすぐに打ち解け無二の仲となった。そして、私は年上のこの方のことを敬意をこめて“先輩”という愛称で呼ぶことにした。
このひょうひょうとした先輩を語る上で、欠かせないエピソードがある。先輩は、銀行員時代にニューヨークに数年駐在していたのだが、ジャズなどをこよなく愛する彼は、ニューヨークライフを大いに満喫していたらしい。しかし、その幸福な日々は突如終焉を迎える。勤務先の銀行が他の銀行に買収され、それぞれのニューヨーク支店を統合するという大義名分のもと、先輩が勤務する側の銀行員は、否応なしに全員日本への帰任を命じられたそうだ。それは2001年の8月末日。先輩が勤務先のワールドトレードセンターを去り、入れ替わりで買収側の銀行員たちがわが物顔で入ってきたそうだ。それから数日後に起きた事件は、あえてここで書く必要もないであろう。
この話を先輩から聞かされた時は、背筋がぞっとしたと同時に、“この人だけは絶対に敵に回してはいけない”と第六感がささやきかけた。いずれにせよ、盟友ともいうべき先輩の加入により、このグローバルカンパニーにおける私の生活も、徐々に実り多きものとなっていく。 (次回に続く)
(次回につづく)
No. 250 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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