予算編成
(前回まで) 「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、新たなライフワークに取り組むため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩いた。
2006年4月1日。この日は会社の新年度が始まる日であり、この会社に転職してちょうど2ヵ月の区切りの日でもあった。この時の私は、自分でも驚くくらい会社に馴染み、仕事上でも既に新人として扱われないほどの活躍をしていた。その一方で、独特の企業文化など、慣れるまでに時間を要していたものも存在した。
この日、朝一番で社長から新年度の挨拶が全従業員向けに行われたが、終了と同時に社長秘書から役員と私は直ちに社長室に来るように伝えられた。揃って社長室に入ると社長は開口一番、「近々、ある会社の買収を進める。それと、ここでは手狭になるから新しいオフィスに移転する」。これを聞いた私はあっけにとられた。
経営企画室の主要業務のひとつに予算編成がある。どの会社でも予算編成は一筋縄ではいかないイベントであるが、この会社は各部門の責任者の個性が強く、その人たちとの折衝に相当の労力を要した。各部門は予算の達成がミッションとして要求される。従って、ミッション達成のために到達可能な予算を立てる傾向にある。しかし、この会社は株式上場を目指していたので、市場を納得させうる会社の成長性を予算に反映させる必要があった。ゆえに、成長性という切り口から更なる計画数字の上積みを要請する我々経営企画室と到達可能な予算を意地でも通したい各部門の責任者との間で、喧々囂々とした交渉が毎日深夜に及ぶまで行われていた。
そんな感じで紆余曲折しつつも予算案を通過させる会社の取締役会を迎えたが、そこで事件は起きた。苦労の末、一定の自信を持って提出した予算案であったが、その予算案に社長が納得せず再検討となってしまったのである。結果、それから私は再度一からやり直し、ほぼ毎日終電近くまで予算修正作業に追われ、3月末日に臨時の取締役会を開催してやっとのことで通過させたのであった。
上場を目指す我々の予算には正確性が求められるため、企業買収や引越の情報が正しいならこの予算は修正しないといけない。「またやり直しか」といううんざりした気持ちもあったものの、今目の前で起きていることに呆然としてしまった。数日前まであれほど時間かけて話し込んだ予算に、社長はどうして今話している情報に一切触れなかったのかが全く理解できず、もっと言うと、予算を通すために唾を飛ばしあって言い合いしていた役員達も平然と社長の話を聞いているこの光景が全く自分で咀嚼できなかった。なお、余談ではあるが、この年だけで3回も予算を修正することになるのだが、年度が終わる頃には私の感覚も麻痺したのか、この程度ことでは動じないようになっていた。
それから数週間後、再び社長室に呼ばれた私と役員達は度肝を抜かれる情報に接するのだが、その話は次回に。
(次回につづく)
No. 178 第3章 「再挑戦」
Masafumi Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
シェアする